「ウォルフ=ウォーカー技術特佐」
電子錠が解除される音と共に、静かな靴音を伴ってかけられた声。
最近では、すっかり聞きなれたその若い声に――部屋の中の男はゆっくりと後ろを振り返る。
「何だね?」
「……確か、本日だと思いましたが……違いましたか?」
「いや、違わないさ」
事務的な口調の中に、若干の興奮を隠しきれない青年の様子に苦笑しつつ――彼は手元のコンソールを操作する。
「……しかし、いいのかね? 今日は随分と来るのが早いじゃないか」
「本日は非番ですので問題ありません」
「随分と手際がいいねぇ」
「一応、これでも実力で出世してきましたから」
普段よりずっと能弁に語る青年――普段の平常さの中にあって今まで気付かなかったが、
意外とこういったイベントなどでは盛り上がるタイプなのかもしれない。
そんな他愛もないことに笑いを噛み殺しつつ――彼は目の前のモニターを見上げた。
そこに映像が結ばれ――それは、地球を遥かな上空から捉えたものだったが――
数度画面が切り替わると、それは丁度三階建ての建物から地上を見下ろしたようなぐらいまでのものへと拡大されている。
「地上の監視衛星の一つを拝借させてもらったよ。高高度衛星軌道から地面に堕ちた十円玉を認識できるほどの高性能なものだ」
「流石は技術特佐……」
「ここで驚くのは、少しばかり早い」
にやりと、まるで悪戯を仕掛けた悪童の表情で彼は笑って――キーの上でさらに素早く指を躍らせる。
するとモニターの画像が、上空からの俯瞰図ではなく――まるで地面に降り立ったような視点へと切り替わった。
「これは……」
「上空から採取したデータを天羅の中枢コンピュータに送り込んで、視点の位置を変更した映像を擬似的に再現したものさ。
 上から眺めるより、こちらのほうが私達としても見やすいだろう?」
「……ですね」
青年に椅子を勧めて――彼は手元にあったコーヒーのカップを手に取る。
その香ばしい香りをすう、と吸い込むようにゆったりと背もたれへ身を預け――彼は落ち着いた声で呟いた。
「……いったい彼らが、どんな選択をするかは私にも判らない。どちらかを応援すると言うわけでもない。
 私はただ、願うだけさ……今日という日が、彼らにとって――『良き日』といつかは呼べるような、そんな風になってくれることをね」
――モニター越しの世界に、まだ朝を告げる輝きは無い。



「無い……無い……何処にいったんだ、畜生」
「ちょっと義父さん、いい加減ご飯冷めちゃうんだけどー?」
栗色の髪の下、愛くるしいその面持ちには今、怒りより若干の苛立ちを混ぜた少女――マナの催促を背中に浴びせられて。
彼女の恐ろしさを身をもって知っているはずの道化氏は――しかし珍しく、それに応じようとしない。
「待て! ……探したら食う、だからもうちょっと待てって」
テーブルの上には、彼女手製の朝食。
マナ達が家を出てから、ずっと自分の分の食事はいちいち自分で作らなければいけないという面倒さを考えれば、
彼にしてみれば文句も無く普通に食卓についていてもおかしくないのだが――
先刻から彼は何かを探しているのか、何度も部屋中を見回り、家具をどけ、押入れの中を掘り返しては嘆息し、の繰り返しだ。
しかも一向に何を探しているのか答えようともしない。
……しかし、もう20を越えるであろうため息を重く吐き――彼はポケットから煙草を取り出しながら、
「なあ、マナ――俺の烈火武者知らんか?」
「……れっかむしゃ……?」
「BB戦士の烈火武者頑駄無だよ! 烈丸のオヤジさんの!!
 あれが見つからないんだよ……畜生、マジでどこ行った」
道化氏は真剣に深刻に、不安げに辺りを探す――とはいえ、
一人暮らしといってもあまり家具の無い彼の部屋であるから、さほど何かが隠れたりするような隙間などがある訳ではない。
それでいて、見つからないと言うことは――
「神隠しか!? 神隠しなのかよ!? ……あれを手に入れるの、どれだけ苦労したと思ってやがるんだ……くそ!」
あまり表立って悪態をつくような性格ではない――どうやら彼にとって『武者頑駄無』というファクターはよほどウェイトを占めるらしい。
マナ自身も、義父の影響で相当に『この方向』への理解と知識はあるのだが――それでもたかだか500円弱のプラモでここまで深刻にはならない。
「何を言うか!? 『たかだか500円弱』だとぉッ!?」
「気持ちは判るけどナレーションの人に怒らないッ!!」
「ごはッ!?」
世界観を破壊しかねない一言と共に、マナは瞬間的に右腕のマグナ=インパクトを『投げた』。
単に射程距離に道化氏がいなかったためだが――総金属製の特殊兵器はそれだけで相当の重量があるものである。
「もー……大家さんが折角『たまには顔見せてあげたほうがいい』って言ったから来たげたのに……まったく義父さんは」
直撃した背骨の辺りが明らかに曲がってはいけない方向に曲がったまま、ぴくぴくと痙攣している彼に、マナは仕方ないと言った様子で嘆息する。
……と――
「ごちそうさま」
普段ならこのやりとりに突っ込みの一つも入れているはずのヘルは――対して気にも留めていないといった態で一人、手を合わせる。
そのまま手際よく自分の使った食器を纏めて洗い場へと置き――
「んじゃ、ちょっと行ってくる」
「ちょっと、って……ヘル、どこ行くの?」
玄関に首だけひょいと顔を出したマナに――ヘルは振り返らずに、
「今日はちょっと、ヤボ用で」
「じゃあ、今日のご飯――」
「昼はいらない。……夕飯は――」
ドアを押し開け――彼は一度だけ、マナのほうを振り返って――

「――青椒肉絲〈チンジャオロース〉で!」



「あれー? ヘクス、出かけるの?」
「……ああ」
玄関先――静かに出て行こうとしたヘクスは、背中からかけられたミューの間延びした声にゆっくりと振り返る。
と、そのミューの背後からぬっと現れた長身の白衣――ガンマが、ヘクスの姿を見取って悟る。
「確か――今日だったか?」
「……ああ」
「あ、そっか。今日だったんだねー」
二人のやりとりを見て――ミューもまた、彼が何をしにいこうとしているのかを理解した。
そのまま彼は、びしっと親指を上へと突きたてて――
「じゃ、頑張ってねー。ボク応援してるからー」
「そうか」
激励にしてはあまりに気合が足りないというか、能天気なものだったが――律儀にヘクスは縦に頷く。
「……俺が出来る限りのことは、オマエにしてやったんだ。負けっぱなしは許さんよ?」
「勿論だ――負けるつもりはない」
焦りも苛立ちも無く――そして、躊躇いもなくそう言い放ったヘクスに、ガンマは信頼した微笑を浮かべる。
「よし、その意気だ。戦う前から気迫で負けてたら、勝つものも勝てないしな」
……微笑を、浮かべたまま――
「だから――負けてみろ。もれなく、H.E.C.C.S. Afro Shiftに換装してやるからな」
「おおー……」
ひょいと取り出したマリモのような黒いヅラと、何も考えて無さそうに拍手するミューの姿――
「……? どーしたの、ヘクス? 頭痛?」
「……機械に頭痛があるか……と言いたいが……ちょっと否定できん」
人がやるように、こめかみに指を押し当てて瞑目するヘクス。

……少なくとも、『マスター』には知られたくないことではある。

「まあ、とりあえず……そういうことだ。行ってくる」
言葉にしがたい類の疲れに背中をしょげたまま――彼はドアノブに手をかけて。
「……ヘクス」
もう一度、かけられたガンマの声に――
「『負ける』なよ?」
振り返らずに――へクスはただ、揺ぎ無き声で、一言。

「――任せておけ」




郊外にある、山の一つ――風光明媚な外観には、しかし傷のように切り開かれた跡。
バブル期に計画されたはいいが、そのまま行き詰まり、放棄された工事現場跡――開けた、そこで。

ヘルはゆっくりと顔を上げる。

その、視線の先――自らと同じ姿をした、紅の機体を確認する。
「……待たせたか?」
ヘクスのその言葉に――ヘルはゆっくりと首を横に振って。
「いいや――オレがちょっと早めに来ただけだよ」

そう言って、空を見上げる――それにつられて、彼もまた空を見上げて。

「……成る程な」

納得したように、呟く。

抜けるような青空――雲ひとつ無い、蒼の大海。
そこから降り注ぐ光が、木々の青々とした葉を生き生きと輝かせ、涼やかな風が鳴らすざわめきさえ心地よく聞こえる。

――快晴。

「いい、天気だよな……」
「……ああ」

鳥達のさえずり。
そっと撫でていくように吹く、風。
太陽はただ、その透徹な輝きを――まるで兄弟のように似通った二人へと、惜しみなく注いでくれる。
二人とも神など信じてはいないが――もし『奇跡』などというものがあるのならば、それはきっとこのような日のことを言うのかもしれない。

空を見上げる二人の表情は、穏やかで優しく。

――そんな、晴れやかな空の下――二人が空を見上げていたのは、そう短い時間ではなかった。

……しかし。
示し合わせたわけでもなく――彼らはゆっくりと、その顔を降ろす。
そのまま、二人はゆっくりと離れて――適度な距離を置き、相対して。


――風が、変わった。



「……そろそろ――始めるか」
「だな」



何気ない語調とは裏腹に――その意思は、力強く。

ヘクスは背に負っていた、長いハードケースの先端を地面に叩きつける。

その衝撃によって、封印していたボルトの中の炸薬が破裂し――現れたのは、一振りの刃。
右腕でしっかりと握り――ぶん、と軽く一度払って、自分の正面へと刃を構える。
刀身はまるで、彼自身の心の内を示すかのように静かな紅に輝きを放つ――

「それは……あの時の?」
「折ったままにしておくには、惜しい一振りだからな」

高熱により副産物的に発生したほのかな紅輝に照らされ――不敵な様子で呟くヘクスに。

ヘルもまた、無言で右手を掲げる。

そこへ収束する、輝き――それは彼の手の内で、長大な砲身を持つ機械仕掛けの槍へと姿を変えて。
瞬間、エネルギーによって精製された愛用のメガビームランサー――
まるで死神の目のように黒々とした砲口を、寸分の揺らぎも無くヘクスへと向ける。

砲身の先端が、空から降り注ぐ陽の光に――鈍い輝きを放っていた。


二人ともそのまま、微動だにもしない。
訪れる静寂と、張り詰めた空気――それは、野性という直感を持つ者たちには理解できたのだろうか。
いつの間にか、鳥達の鳴き声は無く――動物たちの姿が山からは消えていた。
吹き抜ける風が、緊張と爆発の予感を孕み、彼らの足元を砂埃で煽っていく。

「……一番最初にやりあったときも、確かここで戦ったんだよな?」
「そうだったな。随分とオマエとの性能差を思い知らされたよ」

――初めて相対した、あの時。
二人は互い、敵だった。

自らの存在を否定する、憎むべき『敵』――
自らの平穏を否定する、忌むべき『敵』――

「――安心しろよ。また、思い知らせてやるさ」
「冗談を。今度はオマエに、地面を這う経験を与えてやろう」

だが、今の彼らの瞳に、憎悪は無い。

「強気だな、ヘクス?」
「過信ではないという自負はある。――落胆させてくれるなよ」
「ずいぶんと言ってくれるな、おい」

彼らの瞳に、恐怖は無い。

「……徹底的にやらせてもらうぞ」
「ああ――後腐れ無く、徹底的にやろう」

あるのは、ただ――

「……フフ」
「どうした?」
「いや……何故だろうな。オマエとの闘いのことを考えると……昂揚が、止まらん」
「……奇遇だな。オレも同じだ」
「そうか」
「そうだ」

歓喜。


――二人は、笑っていた。
表情の無い、機械の頭部――そうであるにも関わらず。

誰が見ても、はっきりと判る――二人とも、心の昂揚に笑顔が浮かんでいた。



そして――言葉は、途切れ。





――いつから、彼らがこうなることは決まっていたことなのだろう?

――二人が『敵』として相対した、あの日から?
――ウォルフ・ウォーカーがヘクスを処分から救った、あの日から?
――へクスの人格を新たな試験機に搭載した、あの日から?
――ヘルが天羅から脱走した、あの日から?
――『SYSTEM=MAGUNA=IMPACT』の開発がスタートした、あの日から――?


――二人の基礎人格が出来上がった時から――こうなることは、決まっていたのだろうか。


初期人格Type-01――積載機体High-mobility Exam-type Long-range Lancer-cannon『H.E.L.L.』。
初期人格Type-03――積載機体High-mobility Exam-type Closed-range Combat System『H.E.C.C.S.』。

同じ者の手によって生み出された、兄弟。
同じ目的で作られた存在。
同じ機械の肉体を持つ者。

同じ――『心』を持つ者。

もし、違う出会い方だったなら――二人は友になれただろうか。


だが――二人は、こう出会ってしまった。

――それは、変えられない過去。
――それは、変わらない現実。

――変えたところで、意味の無い事。


目の前にいる自分の半身は、決して『敵』ではない。
その存在を否定する『敵』などではない――

しかし、相容れることは出来ない。

自分と同じだと、知っているから。
自分とは違うと、知っているから。

目の前の彼は――相容れぬ存在。
相手の存在を認めているからこそ、打ち砕かねば先へは進めない――そんな男が、目の前にいる。



だから、今は。



――今は。



――今はただ、己の全てを賭し、闘う時――!!





『……おおおおおおおおおおおおおッ!!』




地面を蹴る音は――同時。




紅と蒼――二つの、若い風。


風は今、その身を嵐へと転じて。






――闘いが始まる。







あとがき
道化氏様のサイト『The three coffin』にお越しの皆様、始めまして。
いつもウォルフ・ウォーカー技術特佐の会話を書かせていただいているものです。
とりあえず『主任拍手の中の人』と名乗らせていただこうと思います。

道化氏様の『鋼の翼』の魅力的なキャラたちと心踊る設定、
そしてZe-Sys様の描かれたヘクスの物語のあまりの格好良さに、
自分も一念発起・SSを描いてみようと思いました。
とはいえ、鋼の翼を書くのは当然ながら初めてのこと。
皆々様の中のヘルやヘクスのイメージを壊さないか、
そしてこんな魅力的なSS群の中に自分のものが紛れ込んでいいものやらと恐々としながらも、
結局は『話を書きたい』というその衝動によって執筆を始めさせていただきました。

一応、完結はこの話を含め、四話を想定しております。
なるべく早く、次の話を皆様にお届けできるよう、自分の無い文才を絞って頑張る次第です。

追記。
……聖詩様のようなあんな甘いマナを書けたらなあ……。

追記その二。
Ze-Sys様。一応、この世界観の中では『マスター』は、
ゴースト『鋼の翼外伝〜緋色の翼の死神〜』のユーザー様、という立ち居地になっております(笑)。
鋼の翼における『大家』と同じですね。

ということで、そんな名前のヘクスのゴースト化を希望します(笑)。


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