father side Y 「雨のち晴」



外に降る雨音が、カウンター内の水道の音をかき消す。
「随分と強くなってきやがったな」
皿とカップを洗い終え手を拭っていると、カウベルのけたたましい音を立ててドアが開いた。
ずぶ濡れで店内に駆け込んできたのはしるぴんだった。
特徴的な耳としっぽもぐっしょりと水を吸ってへたっている。
「パ、パパりん!大変、大変なんだよっ!!」
そんな事にも構わず、オレの姿を見るなり叫び出す。
「和泉ちゃん、和泉ちゃんがっ!!」
「おい、いいから落ち着けって。あれ。がどうしたんだ?」

まだ頭が混乱しているしるぴんを何とか誘導して、言おうとしていた事を聞き出す。
どうも隣町の野良猫があれ。が誘拐されかけた現場を見ていたらしく、
たまたま見かけたしるぴんにその事を伝えたようだ。
そしてその事を知ったしるぴんは何をしていいか分からないまま、
無意識に家まで走ってきたという事らしい。

「ねぇ、パパりん!和泉ちゃんが大変だよ、どうし…わっぷ」
未だに混乱状態のしるぴんの上から用意してあったバスタオルをかぶせる。
タオルの上から頭をわしわしと拭きながら、できるだけ落ち着いた声で語りかける。
「あれ。なら大丈夫だ。今、アルが連れて家に向かってるってさ」
「ホント?」
タオルの中から不安そうな声が返ってくる。
「あぁ、ホントだ。だから安心しろって」
そう言って頭を拭く手を少し優しくする。
「・・・でも、今は大丈夫でも、帰ってくるまでにまた何かあるかも知れないんだよ!?
 パパりんは和泉ちゃん達が心配じゃないの!?」
バスタオルを振り払って叫ぶしるぴんの瞳からは大粒の雫が溢れている。
自分の事じゃ泣かないくせにこいつって奴は。
「そりゃ心配は心配さ。・・・けどオレはアルを信じてるからな」
タオルで顔を拭いてやりながら続ける。
「アイツが大丈夫って言ったんだ。ならオレは黙って待つさ」
「でも・・・」
まだ不安なんだろう、うつむいて呟くその声には力がまるでない。
「なーに、男って生き物は単純でな。誰かに信じてもらうだけで何とかしちまう生き物なんだ。
 だからお前も、アルを信じて待っててやれよ。な?」
笑いながらしるぴんの頭をわしわしと撫でる。
「う、うん。そうだね」
ふらつく頭を両手で押さえながら、笑顔で答える。
「よしっ、やっと笑ったな。それじゃ、風呂でも入って暖まってこい」
「うん、分かった。それじゃお風呂行ってくるね!」
「おう、しっかり暖まれよ。そしたら後でオムレツのコツを教えてやるからよ」
「え?」
「まぁ、今日のも美味かったけどな。どうせならもっと美味いヤツを喰わせてもらいたいしさ」
「うん、約束だよ!」
耳をピンと立ててしるぴんはリビングの方へ走っていく。
しっぽもご機嫌そうに左右に揺れているし、これならもう大丈夫だろう。
分かりやすい奴だと笑って見ていると、しるぴんが立ち止まって振り返る。
「ね、ねぇパパりん。今日の家庭訪問でさ、たまろ先生、何か言ってた・・・?」
「あぁ、『しるぴんほど優しい子はそうはいない』ってよ」
「・・・え?」
しるぴんは目を丸めて固まる。
どうやらしるぴんには意外な言葉だったらしい。全くあの教師らしいな。
「だから、『オレの自慢の娘だからなザマーミロ』って言ってやったよ」
まぁ、実際にそんな事言った日には流血するまでファイルケースで殴られそうだが・・・。
「そ、そうなんだ。え、えへへ…」
コイツが顔中を赤くして照れるなんて、珍しい事もあるもんだ。
「じゃ、じゃあボクお風呂行くからーっ」
そう言い残すと、まるで逃げるように家の中に走っていく。

あの教師の言う通りなのは少々癪だが、
オレにできる事は、せいぜいこうして笑わせてやる事くらいしかないのかも知れない。
まぁ少し辛いが、それでもいいさ。
だったら少なくともオレの前では泣かせないだけだ。絶対に。
オレが見えないところにも、アイツの味方はちゃんといるんだしな。


しばらくして風呂から上がったしるぴんにカフェオレを作ってやった後、
再び店内でアル達を待ち続ける。
雨足はかなり弱くなってきてはいるが、それぞれ出ていったY’sとみさきはアル達を見つけられたろうか。
しるぴんの手前、ああは言ったものの、信じてないワケじゃないが、やはり心配は心配だ。
そう思いながら、無意識に手が煙草にのびる。
「あれ、もう無かったのか」
ふと気付けば、カウンターに置いてあった一箱は空になり、灰皿には吸い殻が小さな山をつくっている。
かるく舌打ちをすると、自室へ新しい一箱を取りに行こうと立ち上がる。

カラランッ

「た、ただいま〜」
カウベルの音と同時に疲れ果てた声。振り返った先にあった人影は4つ。
「アル、あれ。無事だったか!それにみさきにY’sもちゃんと合流できたんだな!」
今まで溜まっていた不安が流れ出ているように口から言葉が溢れる。
「で、あれ。は大丈夫か?」
「ああ、今はまた寝てるけど、途中で一回目を覚ましたし」
「そうか、よかった・・・。
 みさき、悪いけどあれ。を着替えさせてやってくれないか?
 夜霧としるぴんにも手伝ってもらってさ」
「うん、分かった。あれ。ちゃんも女の子だもんね」
そう言ってみさきは笑顔で了承してくれた。自分だって雨の中歩き回ってしんどいだろうに。
「ま、そういう事だ」
「おとーさんもようやく人並みのデリカシーってものが分かってきたみたいだね」
「ぐっ」
頼み事をしている立場な上に紛れもない事実だ。
くやしいが反論が思い浮かばない。
「ま、おとーさんをからかうのは後でもできるし、とりあえずあれ。ちゃんを部屋につれてくね」
不吉な一言をしれっと呟いた後、みさきはあれ。をアルから受け取ると家の中に入って行く。
「そうだ、お前もちゃんと風呂に入って暖まれよ」
「うん、分かってるよ」
あれ。に肩を貸した格好のみさきは振り返らずに答える。
「それから、探しに行ってくれてありがとな」
「・・・うん」
相変わらず背中越しの返事だったが、その向こうの表情が見えたような気がした。

みさきの姿が見えなくなると振り返って二人に向き合う。
アルとY’sはあらかじめ用意していたタオルで髪を拭いているところだった。
「悪いなアル、風呂の順番はレディーファーストって事で勘弁してくれ」
「別に、そんなのどうでもいいよ」
「Y’sも悪かったな、ウチのごたごたに巻き込んじまって」
「いやいや、俺の方は店の近くで合流できただけですから」
「そーかい」
店の近くで合流しただけの人間が見えにくい所ばかりに擦り傷をつくるワケがない。
全く、ふざけた男だ。礼も言わせようとしねぇ。
「とりあえず拭き終わったら座れよ。熱いの淹れてやっからさ」
片手鍋に1.5人分の牛乳を入れて火に掛ける。
それにカカオパウダーとグラニュー糖を入れて泡立て器でかき混ぜ、
それとは別にまた1.5人分の普通のブレンドをたてる。
三つのカップにそれぞれを半々に入れて、シナモンパウダーをほんの一降り。
出されたカップを前にして二人は少し意外そうな顔だ。
「おやっさん、コーヒーじゃないんすか」
「父さん、これは?」
「んー、まぁモカジャバの兄弟みたいなもんだ。疲れた体には甘いモンが一番だからな。
 それにシナモンが入ってるから冷えた体にもいい。しかもアル好みの調度良い甘さだぞ」
と言うか、たまにはいろいろ作れるトコ見せとかないとな。
ただコーヒー淹れるしか能が無い奴だと思われちゃかなわん。
「あ、美味い・・・」
「ふふん」
「お、俺も意外と好きかも」
「そーだろそーだろ」
二人のリアクションに一通り満足したところで話を切り出す。

「さて、と。一休みも済んだところでだ。アル、お前に質問がある」
「さっき、電話で言おうとした事?」
「そうだ。はっきり言って聞いて気持ちの良い事じゃない。
 どちらかと言えば吐き気がするような話題だ。しかも聞いたら後戻りはできないっていうオマケ付きでな。
 それを踏まえた上で聞くかどうか、お前が決めてくれ」
「それは・・・、あれ。に関係している事、なんだろ?」
「あぁ」
アルは少し考え込むように目を閉じるが、すぐに首を横に振った。
「そりゃオレとしては説明が欲しいし、ちゃんと聞いた上で納得したい。
 けどあれ。に関する事なら、やっぱりあれ。の意見を無視して聞く事はできないよ。
 それに・・・」
オレの方に顔を向けて含みのある笑顔をつくる。
「オレは父さんと違って、ちゃんと人並みのデリカシーってヤツを持ってるからね」
くそ、今日はいろんな奴に一本取られてばっかだ。
「ったく、どうせオレぁデリカシーなんざ持ち合わせちゃいねぇよ」
仏頂面でそう吐き捨てると呑気にカップの中身をすすっている隣人に目を向ける。
オレの視線に気付くと黙って手をひらひらと振ってみせる。
どうやら自分は聞くつもりはさらさら無いという意思表示のつもりらしい。
全くどいつもこいつも。
これじゃデリカシーが無いのはオレだけみたいじゃないか。
何だか妙にやるせない感じだ。
「まぁ、いいや。とりあえずオレは晩飯の準備してくっから、飲み終わったら適当に置いといてくれ」
未だにのんびりしている二人にそう告げると家の中へ向かう。
「え、今日は父さんが作るの?」
意外そうなアルの声が聞こえる。
「今日はどいつもこいつもぼろぼろみたいだからな。何、ちゃんと喰えるもの作ってやるさ」

さて、最近家の冷蔵庫は見てないからな。
材料は何が残ってんだろうか。まぁ、みさきと夜霧が買い物してきたばかりだから大抵の物はあるだろう。
少なくとも買い物に行く手間は無さそうだと窓から外を見る。

雨はすでに上がり、夕日の赤い筋が雲の切れ間から差していた。


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