father side ]Y 「最高の味」


「ただいまーっと」
口ではそう言いつつも、いつもの癖で玄関ではなく、店のドアの方から入ってしまう。
まあ、今日は店を開けているわけでもないから、別に何か不都合があるでもないし構わないのだが。
が、明日の店の準備も朝の内に済ましてしまったし、アルも出かけるとか言ってたっけ。
他のガキ共は当然まだ学校へ行っているだろうしで、不都合もないが、これといって用事もないのだ。
いわゆるアレだ。暇ってヤツだ。
んで、暇だってのにこのまま店を素通りして昼寝ってのも芸がない。
ここは一つ、文句を言うヤツもいないことだし、存分にこの空間を私的有効活用してやるとしよう。
さっそくとばかりに煙草を一本くわえると、CDプレイヤーの再生ボタンを押す。
店内にはいつもの通り、心地よいジャズのサウンドが流れた。
今日のCDは、この前知人から教えてもらったばかりのArti&Mestieriというバンドで、かなりテンポの速いロックジャズが気に入っている。
まあ、こういったものは普段のように客がいる時にはあまり流せないので、この機会にとチョイスしたものだ。
「やっぱ、格好良いよなぁ」
ほくそ笑みながら、ポットに水を張ると火にかけ、その隙にリビングから一冊の文庫本を持ってくる。
霧舎巧の「九月は謎×謎修学旅行で暗号解読」というもので、霧舎学園シリーズの最新刊である。
推理マンガのような雰囲気で書かれていて、読みやすさが最大の売りでもあるとも言えるほどだ。
それは反面、ミステリマニアにとっては読み出したら止まらないという側面でもあり、
解決編の直前で栞を挟んでいたオレは、早く続きを読みたくてうずうずしていたのだ。
個人的に一番読書に没頭できる場所といえば客のいないこの店なので、暇にまかせて一気に読み切ってしまおうという魂胆だ。
それは経営者としてどうなのよ、という意見はもういい加減に言われ慣れたので、そんなものはそよ風程度にだって感じやしない。
などと、愚にも付かない事を考えているのも時間が惜しいので、本を手に取りさっさとページをめくり出した。

ふと気付くと、ポットのお湯がシュンシュンと音を立てている。
少し前から既に沸騰していたらしい。
しまった、本に集中していて気付かなかったようだ。
本を一旦置き、火を止めようとした所で、


ズバーンッ!!!


過去最大級の、映画でいうなら全米No.1の音を響かせてドアが開けられた。
いや、蹴破られた、といった方が正しいのかもしれない。
で、当然そんな勢いで突っ込んでくるのは
「パっパりーん!カフェオレ二丁ー!」
暴走特急しるぴんと、
「ね、ねえ、しるぴんちゃん。私、こういうお店に寄り道するほどおこづかい無いよー?」
そう不安そうに呟く、見知らぬ少女。
しるぴんが暴走特急なら、さしずめ在来線各駅停車といった感じだろうか。
「大丈夫大丈夫!だって寄り道じゃなくて、『ただいま』なんだもん!」
そんな不安そうな少女にニコニコしながら話しかけるしるぴん。
つーか、その『ただいま』を言ってねえぞ、お前………。
「え、じゃあ、ここがしるぴんちゃんの家……?」
さっきまで不安そうに表情を曇らせていた少女は、今度は目を丸くしている。
忙しいなぁ。
「そうなのです!そしてこの人がボクのパパりんの…」
「ヒ○゛キです、シュッ」
ごく自然に言い放ち、あの独特な敬礼ポーズも真似てみせる。
って、いかん。いきなり話を振られたので、つい真顔でボケてしまった。
「いやパパりん、神楽ちゃんそれ分からないし」
「いえ、その時の指の角度はもう少しこう…」
「って分かるのっ!?」
しるぴんの心配をよそに、駄目出しまでされてしまった。
なかなかに優秀な子なのかもしれない。いやそれが世間的に優秀かどうかは分からないのだが。
「しかし珍しいじゃないか、お前が友達連れてくるなんてさ」
まだ沸騰しっぱなしだったポットの火を消しながら、ごく自然にそう尋ねる。
珍しいどころじゃない、初めての事だなんて百も承知していたが、そんな馬鹿親のつまらない感傷でこの空気に水を差したくなかった。
「えへへへ…、ボクの一番の友達なんだよ!神楽ちゃんっていうの!」
「あ、あの、初めまして、秋坂神楽といいます」
いきなり喫茶店だなんて慣れない空間に来た不安からか、一番の友達だなんて呼ばれて照れているのか、顔を赤らめながら自己紹介をする少女。
「ああ、よろしくな」
もちろんこの子には感謝の念は感じていたが、下手に恐縮させるのも何なので、ただ一言だけそう返しておいた。
「と、言うわけでパパりん。最高のカフェオレを二つお願いしたいんだけど」
「最高……ね」
ふん、と鼻っ柱を親指で弾くと、
「ヤダ。メンドイ」
ずっぱりと斬り捨てた。
「えええええーーーーーっ!?」
さすがに予想外の反応だったのか、目を白黒させながら大声をあげるしるぴん。
その隣では神楽ちゃんも呆然としている。
どうせしるぴんのことだ、帰り道でさぞかし良い家族の話でも聞かされていたんだろう。
それがいざ蓋を開けてみたら、こんな意地の悪いオッサンで困惑しているのかもしれない。
……いやオッサンじゃないけどな?
「それにだ、ご覧の通りオレは殺人事件の解決に忙しいのだ」
そう言いながら、読みかけの文庫本をパンパンと手の甲で叩いてみせる。
「そんなー、何でも家の事とかお手伝いするからさー!ねぇー!」
頭の耳をぺたんと寝かせて、しっぽも元気なく垂れている。
こいつが結構本気で困りだしている証拠だ。
これ以上からかうのも少し可哀相か。
「だから代案が一つある」
「ふぇ?」
人差し指を立てながら、ニヤリと嫌味な笑いを浮かべてやる。
「しるぴん、お前が淹れてみ?だいたいはオレのをちょくちょく見てて分かるだろう」
「ええっ!?ボクがっ!?」
あんなに寝ていた耳が驚いた勢いでピンと突っ立っている。
「ほら、何でも手伝うってさっき言ったろうが」
「う、あれは…」
「ま、いーから試しにやってみろって。細かいトコはちゃんと教えてやっからさ」
それだけ言うと、さっさとスツールに腰掛け文庫本を手に取る。オレはやらない、という意志表示だ。
「ううう〜……、い、いいもんいいもん!もうパパりんに頼まないもん!
 神楽ちゃん待っててね!絶対にパパりんよりも美味しいの作ってあげるから!」
「…う、うん」
おー、燃えてる燃えてる。
あんな炎の写り込んだ目で言われちゃあ、あの子も頷くしかないだろうな。

そして、ひっくり返したサイダーのケースを台にして、しるぴんの試練が始まった。

「ミルのグラインド数は合わせてあるから、その豆を30g…ちがうちがう、その右、そうそれだ」
「う、うん…」
カリカリカリカリカリ……

「ああ、先に牛乳を200ccくらい火に掛けておくか」
「ラジャ」
カチッ

「そうそう、二投目からはそっと輪を描くようにな。上のラインまでは注ぐなよ」
「…ん」
サーッ…

「そうだ、カップの底に生クリームを少しだけ入れておくか。砂糖なんかよりも上品な甘みをつけられる」
「うぃ」
むにゅーっ

「よし、じゃあ温まったミルクとコーヒーを半々で注ぐんだ。生クリームを溶かすようにな」
「………」
トポトポトポトポ……ッ


「で…」


「OK、上出来だ」
「できたー!!」
しるぴんが雄叫びのように完成を宣言する。
インスタントに牛乳をブチ込むだけならその辺のガキだってやった事あるだろうが、
きっちりとたてる所から作った奴はそうはいないだろう。
「神楽ちゃん!お待ちどうさま!!」
「あ、ありがとう…」
しるぴんからカップを受け取ると、まだ熱いんだろう、少し息を吹きかけてからそっと口に運ぶ。
「ど、どうかな……?」
一方のしるぴんは、相手の反応が気になって自分のカップに手も着けちゃいない。
「あ、美味しい……」
「ホ、ホント!?」
「うん、凄く美味しいよ!…凄いねしるぴんちゃん、お料理とかもできるんだ」
「え、えへへ、そんなことないよ?」
口ではそう言いつつも、さっきから耳としっぽはパタパタと落ち着きがない。
しっぽなんかはそろそろ浮くんじゃないかってくらいに振っている。
「信じられなきゃ自分で飲んでみろよ」
未だに自分のカップに口を付けない様子に苦笑しながら、オレもサーバーに残っているコーヒーを少し失敬してみる。
………ま、65点ってトコかな。
生まれて初めてのドリップにしちゃ上出来だろ。
「あ、美味しい…」
「だろ?」
しるぴんが自分のカップを持ってカウンターの席につくと、オレも文庫本を持って立ち上がる。
「じゃあ、オレは引っ込むから。まあ、ゆっくりしてけよ」
「あ、はい」
「大丈夫だよ!もうパパりんに頼らなくたって美味しいのできるもん!」
「言ってろよ」
謙虚と不貞々々しい両極端な返事を背中に受けながら、リビングに通じるドアを開けた。
結局、本は2ページしか進まなかったなぁ、なんて漏らしながら最期に少しだけカウンターを振り返る。
そこに並んでいるのは、二つの笑顔。
やっぱり、悔しいよなぁ。
オレが100年かけて100点満点のコーヒーを作ったとしても、二人の65点には敵いっこない。

「誰のために作ったか、誰が作ったか」

この二つのスパイスは時として技術や素材の差をいとも簡単に覆す。
空腹という最高の調味料だって、到底太刀打ちできやしない。
商売でしか人に淹れていないオレでは、もう味わえないものなのかも知れない。
悔しいと思いながら、どこか嬉しいような誇らしいような気持ちもある。
それはそのスパイスが、きっとドリンクだけの話じゃないからだ。
全く、参りました、だよな。
ボリボリと頭を掻きながら、後ろ手にドアを閉める。
そしてそのドア越しに、どっかのヒーローをちょっと真似てみた。

「しるぴん第一歩、だな」

なんてな。


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