father side ]X 「繋がる絆」
「それが、あの人のお墓ですか?」
振り返った先にいたのは見慣れた常連客、Y’sだった。
随分と呆けていたんだろう。いつからそこにいたのかさっぱり分からない。
ただ、見慣れた常連のはずなのに、その表情からは見慣れない緊張感が感じられた。
「どうしたよ、こんな場所で」
あの人、なんてセリフを口にしておいて、たまたま親族の墓参りで偶然ばったり、なんてジョークもないだろう。
「和泉ちゃんに聞いたんですよ。ここだって」
「あれ。に……?オレに何か用でもあったのか?」
「ええ、半分はおやっさんにです。……もう半分は…」
そこでY’sは言葉を句切り、墓石の方をじっと見つける。
「その人に……。上総さんにです」
………何だと?
どういう事だ……何で、Y’sがこいつの、上総の事を知っているんだ?
「どういう、事だ?」
頭の中で考えていたって分かるワケがない。渦を巻いていた疑問は知らず口から漏れていく。
「少し、昔話をしましょうか」
Y’sはそんなオレを無視して、独り言のようにぽつりと、話し始めた。
「昔、ある家族がいました。
両親と、姉弟の四人家族。お姉さんが少し体が弱かったのですが、仲の良い家族でした。
しかし、父親の事業が倒れた時を境に、その幸せも崩れてしまいました。
いつしか父は酒に溺れるようになり、母親は逃げるようにして外へ。
それから姉弟にとっては、ギリギリの生活が始まりました。
そんな生活の中で男の子は、いつも支えになってくれているお姉さんを助けたいと、いつも思っていました。
ところがある日、夕食の時間になる頃でしょうか。
父親が見慣れない男と一緒に帰って来ました。
その時の父親にはいつもの威張った感じはなく、妙にニヤついて気味が悪いくらいでした。
ですが、その様子に呆然とする姉弟を後目に、父親と男達は何やら話し続けています。
その内、男の一人がお姉さんの名前を呼びました。
父親は男達からトランクを一つ受け取ると、お姉さんに向かって、
お前だけ良い所へ引っ越す事になったのだと告げました。
そこはこの家よりももっと大きな所で、広く綺麗な部屋に住め、もっと良い物が食べられるのだとも言いました。
だけれど姉弟は、それは嘘だとすぐに思いました。
何故ならそんなに美味しい話を、あの父親が笑って話すはずがないからです。
そして、弟よりも少しだけ大人の世界を知っていたお姉さんは、あのトランクの中身がお金だという事、
あの男達が自分の関わった何処かの病院の人間だろうという事を理解してしまいました。
同時に、そのお金で自分は買われたのだという事もまた、理解してしまったのです。
だけども、優しいお姉さんはこうも思いました。
どんな理由があるのかまでは分からないけれど、このお金で少なくとも卒業まで学校に通うことはできるだろうと。
それに、もしかしたら自分にこれだけの大金を払う人達だから、この男達を通じて父親に弟の無事を約束させられるかも知れないとも」
そこまで話すと、Y’sは一息つくように深呼吸をする。
視線は墓石の方を向いたままで、こちらを見ようともしない。
だけど、その目に写しているのはおそらく墓石ではなく、ここではない何処かなのだろう。
しばらく二人して黙ったままだったが、やがてY’sが再び口を開いた。
「その出来事があって、そのままお姉さんは家を去りました。
それから、残された男の子は、ただ全てを呪い続けました。
お姉さんを売った父親を、自分たちを残していった母親を、お姉さんを連れ去った男達を。
そして何より、守られるしか能のない無力な自分自身を。
やがて中学を卒業したその男の子は、逃げるようにその家を飛び出しました。
何の当てもなかったけれど、お姉さんを捜し出そうとしたのです。
今度こそ、自分が守るために……」
Y’sは話し始めてから、初めてこちらに視線を移した。
どうやら昔話とやらはここで終わりらしい。
「で、その男の子ってのは、その後どうしたんだ?」
「その後、恩人とも呼べる人物に拾われ、高校などには行かなかったものの、様々な教えを受けたそうです」
「そうか」
「ですが、その恩人の元に身を寄せている時に、男の子は両親の訃報を受けたそうです。
だけれど、男の子は耐えました。
まだ自分にはお姉さんがいる。決して一人ではない、と」
そっと顔を窺うと、Y’sは今まで見た事もないような目で上総の墓を見つめていた。
「……そう、か」
だからオレもそれだけ呟くと、同じように墓石を見つめる。
いや、同じように同じ物を見ていても、見えているものは全く違うのかも知れない。
結局オレはコイツの、上総の事を、最期まで分かってやる事ができてなかったのか。
一丁前に上総の隣で相方ツラしていた過去の自分が、ひどく滑稽にすら思える。
「すまなかったな」
ふいにそんな一言が聞こえた。
Y’sかと思ったが、こちらを向いて意外そうな表情をしているから、どうやら違うらしい。
ああ、セリフを吐いたのはオレの口だったのか。
そのセリフが上総なのか、Y’sなのか、誰に向けての言葉なのかさっぱり分からなかったから、
まさか自分の口から出たセリフだとは思いもしなかった。
「謝らないでください」
呆けているオレとは裏腹に、Y’sの言葉には斬りつけるような響きがあった。
「いくらおやっさんでも、次にそんな事言ったら、おれ、怒りますからね」
口調だけじゃない、その目も、いつものように笑ってはいない。
「だけど、オレは」
「やめてください」
女々しく何かを言おうとしたオレの言葉は、あっさりと切り捨てられる。
「あの人は、謝られるほど幸せじゃなかったんですか?」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「あの人は、アンタに過去を聞いてほしかったんですか?
相手の全てを聞いて、知ってなきゃその相手を幸せにできないんですか?」
何も言えなかった。
相手が幸せな条件だなんて考えてもみなかった事だ。
「言わないなら聞かないって、聞かれないなら言わないってスタンスだったのは誰なんですか!?
そのスタンスでも、あの子達の過去の全てを知らなくても、あの子達は幸せなんじゃないですか!?
あの子達は知らなくても幸せにできて、あの人は、姉さんは出来ないって言うんですか!?
ふざけないでくださいよっ!!」
もうY’sの言葉に昔話だとか、そういった体裁は微塵もなかった。
「アンタが最期に幸せにしてやれなかったなら、姉さんの人生は何だったんですか!?
おれは姉さんを助けてもやれず、最期も見届けられず、挙げ句に、良かったねって笑いかける事だってできないんですか!?」
肩で荒く息をしながら、それっきりY’sは黙った。
「すまなかったな」
随分と時間が経った頃、さっきと同じ言葉を同じ調子で述べた。
「…っ!アンタはっ!」
「さっきのセリフは訂正させてもらうぜ。その為のすまなかった、だ」
随分と考えた。
上総や純のように別れていった奴らの事を。
今のガキどものようにオレが関わった奴らの事を。
結局、幸せの定義や条件みたいな事は何一つ分からなかった。
分からなかったけど、みんな笑っていた。作り笑いとかじゃなくて、何も考えてない、素直なバカ笑いだ。
「あいつはさ、オレがオレだったから、幸せでいられたんだ。
相手の過去なんかに興味もないし、相手の存在がどんなものかっていう知識もない。
そんないい加減で、怠け者なオレだったから、アイツはアイツでいられて、アイツのまま笑っていられたんだ」
今度はY’sが呆然とする番だった。
だからオレは、いつものオレのように嫌味な笑みを口元に浮かべて、静かに話し続けた。
「だから安心しろよ。お前の姉さんは、幸せだった。
どんな辛い過去があったか知らないが、そいつを気にもさせないほど、脳天気に笑ってたよ」
結局オレはバカだから、小難しい事はさっぱり分かりゃしない。
分かりゃしないから、みんなが笑っていればそれだけで良かったんだ。
ったく、最近はごたごたしてたからなぁ。
柄にもなくいろいろ考えちまって、そんな単純な事を忘れちまってたよ。
「……っははは…」
いつの間にかY’sはいつものにやけた顔に戻って、口元を押さえながら笑っていた。
「何が可笑しいんだよ。オレ、今ちょっといいこと言っただろ?」
「いやいや、すんません。そういう意味じゃないんです」
謝りながらも笑いは止む気配がない。……コノヤロウ。
「ただね、らしいなぁって」
「あ?何が?」
「だって、いい加減で怠け者だったから幸せだったなんて、普通は言いませんよ。
言ったにしても、言われた方は絶対に納得しやしませんって。
まともな親なら、お前なんかに娘はやれるかってトコでしょうね」
あー、まあ、言われてみればそれは確かにそうなんだが。
「だから、そんな理由を言われてなんとなく納得できちゃうのって、おやっさんらしいなぁって」
鼻の頭を掻きながら、にやついているY’sの顔を見る。絶対に楽しんでる顔だ。
「つーかさ、お前、絶対に褒めてないだろ?」
「そりゃもちろん。大事な姉さんがこんな自他共に認める怠け者に捕まったとあっては、心中複雑ですから」
もはや隠す気もなくけたけたと笑い出すY’s。
こいつ、ここにきて本性が出てきやがった。タチ悪ぃな。
「よっこいせっと」
ズボンをはたきながら立ち上がると、軽く伸びをする。
随分と座ってたせいか、肩や腰がパキパキと乾いた音をたてた。
「あれ?どこ行くんです?」
「どこって、帰るんだよ。オレはもう用事済んだしな。それに…」
腰を捻りながら、思い出したように付け加える。
「何年ぶりかは知らねえが、せっかくの再会なんだ。姉弟水入らずの方がいいだろ?」
そう言い捨てると、返事も聞かずにとっとと歩き出した。
どうせ返事に困ってるだろうからな、待つだけ無駄だろう。
「あ、おやっさん」
少し離れたあたりでY’sが呼び止めてくる。
「んだよ?」
「…ありがとう、ございました」
一瞬何のことだかよく分からなかったが、ややあってアイツの事なんだろうと納得した。
「バカタレ」
せっかくだ、返事の代わりにさっきの仕返しでもしてやろう。
「誰かを幸せにするのってな、礼を言われるような事でもないだろうが」
「……そう、ですね」
「じゃあなー。せっかくだ、たっぷり甘えて来いよー」
振り返りもしないまま嫌味たっぷりで手を振ってやると、そのまま何も言わずに墓地園から立ち去った。
しっかし、上総のヤツは。ガキ共だけじゃなくて、弟まで見張りで残していくなんてな。
そんなにオレは一人じゃ頼りねえってのかよ。
・・・・・・。
頼りねえな。