father side ]W 「紡いだ絆」


人間ってのは、どうにもイメージに囚われやすい。
いや、囚われなきゃ不安定過ぎて上手いこと立ってられないのかも知れない。
目に見える偶像崇拝もそうだし、目に見えない日々の習慣や昔からの倣わしなんかもそうだ。
だからオレは、こうしてアイツの命日にただの石ころを毎年拝みに来ている。
そう、こいつはただの石ころ。
あの後、結局アイツの遺体は見つかりゃしなかった。
おまけに身寄りも行方知れずとしか聞いてなかったし、親しい友人は純くらいしか知らないもんだから、
葬儀だ何だは一切行われず、ただオレの生活からすっぽりアイツが抜け落ちただけになった。
そうした区切りがなかったから、しばらくはもしかして、万が一、なんて女々しくいじけてもみたけど、
そんな精神状態はすぐに限界がきた。
結局オレは、気持ちの区切りと偶像を求めてアイツの墓石を立てる真似事しかできなかった。
けど肝心な中身はからっぽの、ただの石ころ。
詰まるところ、オレも偶像が無けりゃ故人を偲ぶ事もできない、つまらない奴なんだろうなぁ。
なんて自嘲はしてみるものの、そんな石ころでもあるだけで多少は心に整理がつけられるから人間ってのは便利にできてるものだ。
そうして心に整理をつけたオレは、いつからか事故の日には現場の川へ、書類上の命日はこの墓へ、そんな具合に過ごすようになっていた。

「しっかし、ここ最近は本当に騒がしかったぜ」
墓石の前でどっかとあぐらを掻いたまま、石ころに声をかける。
当然くわえ煙草のまんまだ。
こいつもいい加減オレの行儀の悪さには慣れてるだろうから、今更そう文句も言うまい。
「騒がしいついでに、純の話題なんかも出てよ。いろいろ、いらねえ事も思い出しちまったよ。
 お前なんか、この名前聞く事自体がすげえ久しぶりじゃねえか?」
そうだ。
オレと上総の為にいろいろ世話を焼いてくれたのが純で、オレ達を誰よりも祝ってくれたのも純だった。
いつの間にか、オレにとっても大事な友人になってたっけか。
だけど、どうしても辛い別れを連想しがちだから、忘れた事はなくても、口には出さなかったんだ。
「それが、あんなにべらべら喋っちまうなんてな。知らねえ内に、何か心境の変化でもあったんかね?」
自分の事だろうに、他人に聞いたって仕方がない。
もっとも、聞いたところで分かりもしないだろう自分が可笑しくて、少し笑えた。
「ホント、あれからいろいろあったよなぁ・・・」
そう呟いて、相変わらずのんびりと空に向かう煙に目をやる。
呆と昇っていく煙を眺めていると、つられて記憶の底から昔の思い出まで浮かんで来ちまうような、変な気分になる。

そう言えばあの日も、こんな嫌味ったらしいほどの青空に煙草を燻らせてたっけ。




「誰だ、このガキ?」
そいつを初めて見た時の第一声はそれだった。
上総が病院の検査期間で外出できないというので暇つぶしにと呼び出され、
かといって禁煙の院内ではこっちが参ってしまうもんだから、オレ達は屋上に来ていた。
そこまではいい。
が、肝心の上総の隣には妙なガキ。
何が妙って、落ち着いた、というか、冷めた雰囲気こそ違い過ぎるものの、顔立ちなんかが上総にそっくりだったからだ。
上総をそのまま子供にしたらこうなるんだろう、そう思うほど似ていた。
いや、今も充分子供臭い所があるが。
ともかく、そんなガキが傍らに居れば、そりゃあこっちだって指さして聞きたくもなるってもんだろう。
「誰なんですか、このおじさん?」
「ああっ!?誰がおじさんだぁ!?」

ちなみにこの時のガキが、あれ。だった。
病院が研究のために作りだした上総の分身、いわゆるクローンというやつらしい。
その手の知識がさっぱりなオレは疑うほどの教養もなく、「へー」の一言で済ましてしまったのだが。
けどまあ、それが倫理的にはどうあれ、上総の病院内での味方が一人増えたということに違いはない。
そこは素直に喜ばしい事だと思う。
実際、上総もあれ。を可愛がっていたし、あれ。も上総にはよく懐いていた。
オレの事は、まあ、最初はかなり警戒されてたみたいだが、
共に過ごす内に警戒心も解けたのか、気付けば居て当たり前といった感じになっていった。
そして何よりも、上総が望んでもオレじゃ叶えてやることのできなかった「母親」としての立場をあれ。が与えてくれたのはありがたかったし、
あれ。もオレたちを親として接してくれる事が嬉しかった。

だけど、終わりはあっさりとやってきた。
非常に危ないバランスを保っていた上総の体は、突如その均衡を崩し、あとは崩壊の一途を辿るだけ。
あいつから全てを打ち明けられた日から、その覚悟がなかったわけじゃあない。
だけど、もしそうなったとしても、最期の時まで3人でいたかった。
いや、あいつだってそうだったと思う。家族と引き離されたからこそ、あいつは家族というものへの執着が強かった。
ただ、遺体が残った場合、病院の連中にどんな扱いをされるか分かったものじゃないし、何よりオレとあれ。に迷惑がかかる。
それであいつは、あの雨の日に自らを流してしまおうと、そう思った。
どんなにオレも一緒に流してもらいたかったか知れない。
もし背中にあれ。の体温が無かったとしたら、一人で自分をこの世に繋ぎ止める事が出来ていたかどうか。
そして別れの間際に言った上総の言葉。

「私達の子供を、よろしくね」

この言葉が、かろうじてオレに前を向かせてくれていた。
結局オレは、この後すぐにあれ。をオレの遠い親戚筋に匿ってもらう事にした。
上総とあれ。が姿を消したとなれば、連中は必死に捜索するだろう。
だからその間、ほとぼりが冷めるまで、オレのそばにいない方が病院側から発見されづらい。そう判断したからだ。
あれ。も最初は渋ったが、必ず連れ戻すと約束して、一時、この街を離れていった。




上総の一件のあと、オレが腐らずにいられたのは、偏に純のおかげだろう。
同じように大事な相方を亡くしても、女手一つで子供を育てているこいつを見ていたから、オレも負けじと前を向いていられた。
純は上総がいなくなっても、相変わらずウチの常連で居続け、
そしてオレも、相変わらずトーストのサービスを続けていたんだ。

その日はやけに静かな日だった。
いつも以上に店も暇だったし、外の天気だって風も吹かず、まるで夕日が沈んでいく音が聞こえるんじゃないかと思うほど雑音の無い日だった。
今日は珍しく純は寄らなかったな、と思いながら店終いの準備をしていると、今までの静寂を打ち壊すように、電話のベルが鳴り響いた。

信じられなかった。
こんなに静かな一日だったんだ。きっとあんなに騒がしい電話のベルも間違いだったに違いない。
そんなことを思いながら、オレは純の家へと走り続けた。
そこには純の親類や、仕事の関係者が既に集まっていて、あの騒がしいベルの続きのようにがやがやと何か話していたようだけど、ろくに聞こえちゃこない。
そんな中で、一人純だけが、まだこの日の静けさの中にいるようで。
けど、そんな静かなのはコイツのイメージとはかけ離れていて。
いつもカウンターで、あー肩こりがひどいわぁって文句たれてるのと同じ顔で。
同じなのは顔だけで、その口からは文句の一つも出ないで。
ただ、眠っていた。

ふらつくように外に向かう途中、親族が話している内容が耳に入った。
そっか・・・。そう言えば、ガキがいたんだよな。なんて名前だったっけ。
まだ焦点の定まらない目で家の中を見渡すと、輪から外れたところに一人で立ちつくしている少女がいた。
「君が、えっと、確か、みさきちゃん、なのか?」
「……おじさん、…だれ?」
あー・・・。
うん、こんな状況でも人ってちゃんとショックを受けられるんだなぁ。また一つ勉強になったよ。
しっかしなぁー、おじさんかぁー。まあ、このガキの母親とはそんなに変わらないもんなー。けど君のおっかさんよか年下なんだぜオレぁ。
「…とりあえずおじさんはやめてくれ。そんな歳じゃないんだ」
「じゃあ、誰?」
気付けばそんな事を考えられる程度にはいつもの調子に戻っていたオレの耳に、雑音が聞こえた。
死者に鞭打つような内容の日本語によく似てたような。
まさかなぁ、いくら何でもそんな、なあ。
うん。
納得いくかクソバカヤロウ。
ここにいるんだぞ、とだけその子に言うと、その雑音の発生源どもを引きずって外に連れ出す。
外に出ちまえばあの子には聞こえないだろうから、遠慮はいらねえし、元よりするつもりもねえ。
心の問題よりも、金の問題を気にする連中が気に入らなかった。純の稼ぐ目的を無視して、稼ぐ手段を卑下する連中が気に入らなかった。
今まで助けようともせずに、こんな状況になってさえ助けようとしない連中が気に入らなかった。
何より、今まで純がどんな気持ちであの子を育ててきたか、知ろうともしない連中が気に入らなかった。
だから、そんな連中にあの子は任せたくなかった。

で、まあ、たらい回しの真っ最中だったところへ、売り言葉に買い言葉。
赤の他人であるオレが純の代わりに育てる、なんて世間的にはおかしな結論で片がついた。
さらにおかしなのは、肝心の子供があっさりついて来たことだ。
「あのさあ、オレが言うのもなんだけどさ、こんな赤の他人でいいのか?」
「おじさんの方が、あの人達よりもお母さんのこと好きそうだから」
「だから、おじさんじゃねえって」
「あ、そうだね。えっと・・・おとーさん、・・・でいいのかな?」
「・・・・ま、おじさんよかマシ・・・か」
そういう意味で言ったんじゃないんだけどな。
なんとも言えない溜息を漏らしつつ、ただ黙って頭をくしゃくしゃと撫でてやった。




そうして、みさきがウチの生活にも慣れてきた頃だったけか。
あの日、気が滅入るような雨音を一人カウンターで聞いていた。
こんな雨の日は、どうしても上総の事を思い出してしまう。そして思い出すと、決まって右手が疼くんだ。
もうありもしないのに、絶対に消えることはないだろう痛み。
雨のオカゲで嫌な気分にはなるし、客は来ねえしで、もう今日は閉めちまおうかと外を見た。

ぽつん、と。

最初は見間違いかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。小さな人影が店からもれた明かりの中に立っていた。
ぼんやりしていたせいで、いつからそのガキがそこに居たのか、さっぱり思い出せない。
ただ、あんなガキが何もせず突っ立ってる理由が分からなかったもんだから、ちょいと顔を出して聞いてみる。
「…………お前、何をやってるんだ?」
「ここで待っていろっていわれたので、ここで待ってます」
「……そうか」
待ってるって事は迎えが来るんだろうし、オレが変に心配する必要もないか。
納得のいく答えをもらった以上、そのガキの事は一旦忘れておいて片付けを始めた。
しかし、オレが店終いを終えても、まだそのガキは同じ場所に突っ立っていた。
あんまりにもさっきと同じ光景なものだから、思わず時計を確認してしまったほどだ。
おかしい。
誰がどう考えたって、この状況は変だ。
だのに、当の本人はまるで人形の様に動きゃしない。
「あー、やだやだ。……ったく、何でこの店の前なんだろうな?」
頭をがりがりと掻きながら、店を出ていく。
オレが近づいたのに気付いて、少しだけ顔がこちらを向いた。
が、反応はそこまでで、自分がどれだけ変な状況なのかはさっぱり分かっていないらしい。
「……くそっ。まったく、面倒な……」
溜息を吐くのと同時にガキの腕をひっ掴むと、そのまま店の方へ引きずって行く。
どうにもその辺の常識がなさそうだとは思っていたが、自分の状況もこっちの意図も分かっちゃないツラしてやがる。
「店の前で子供が凍死したとか、そういうわけにはいかねえだろうが…ああ、くそ」
説明したつもりが、嫌味になっちまう。というか、実際に面倒事は嫌なんだけどよ。
かるく用意しておいたタオルで頭をなでつけたが、思った以上に服は水を吸っているようだ。
全部拭くのはそうそうに諦め、そのまま風呂場に連れて行く。
あーあー、見事に廊下に小さな足跡が続いてらぁ。フローリング悪くなるし、これも拭いておかなきゃあな。
脱衣所につくなり、ガキの服をたったと脱がして風呂場へ放り込む。
「…………暖まったら栓止めて、タオルで体拭いてこれに着替えろ」
尚も呆けているガキに向かってそう言い捨てると、さっさと濡れた廊下を拭きに向かった。
途中のリビングでは、座っていたみさきが不安そうな目を向ける。
「アイツがシャワーから出たら、なんか喰わせてやってくれ。晩飯、まだ残ってるだろ?」
「うん、…あれ、おとーさんは?」
「ちょいと野暮用」
ひらひらと背中越しに手を振ると、そのままリビングを通り抜ける。

布巾で廊下の足跡を拭うのもほどほどに、オレは外へと向かった。
もしかしたら保護者か坊主かがうっかり場所を間違えてるかも知れないと思い、ついでに夜露の散歩と洒落込むためだ。
歩きながら煙草に火を着け、ぷかぷかと吹かしながら商店街の飲食店の近くを練り歩く。
だが結局は、あの坊主がウチの前にいないだけで、他の何一つとして商店街の風景に変化はなかった。
もしかして、なんて都合良くはいかないか。分かっていても、どうしても溜息が出てしまう。
「クソッタレめ…」
電信柱を殴りつけながら、毒づかずにはいられなかった。
明日は警察だとか、また面倒だとか、そういったのもそりゃ当然あるにはあったが。
それ以外にも、こう、何だか分からないけど腹が立ってしかたなかった。
罪もない哀れな電柱にひとしきり八つ当たりを済ませると、大きく深呼吸をする。
そろそろ帰るか。散歩にしては歩きすぎだ。
「じゃあな、悪かったよ」
ぽんぽん、と今度はかるく叩き、その哀れな電柱に別れと侘びを告げるとさっさと足を家に向ける。

そういや、こんなに嫌な雨だってのに右手の疼きが止まってたな、なんて思いながら。




あれから結構な時間が経って、最初は感じていた視線みたいなのも、いつの間にかいなくなっていた。
それで、アルも大分ここの生活に馴染んできたし、あれ。を家に呼び戻したものの、こいつが予想外だった。
みさきにしても、アルにしても、あれ。にしても、こいつら順応早すぎないか?
まあ、別に悪いこっちゃないし、ごたごたがないのはこっちも願ったり叶ったりだし、そもそもそういった環境をつくっちまってるのはオレなんだけどさ。
にしても何だ。だんだんとガキ共が強くなってきてるのが問題だ。
みさきは店で煙草吸ってりゃ怒るし、アルは朝っぱらからリビングで吸ってりゃ文句言うし、あれ。は食後の一服してりゃ一服どころじゃないって言うし。
結局、たまには散歩にでも行かないとのんびり煙草を味わえもしないってのが、今のところ一番の問題なワケだ。
「しっかし、こうも休みの日にいい天気とはね。神様ってヤツも、案外気が利いてるじゃないか」
商店街を抜けた先にある公園で散歩がてらの一服。
休日の楽しみも、この陽気なら倍率ドンってやつだ。
「でも、信号待ちの間に寝ちまいそうな天気だよなぁ」
でかい口で欠伸をした時、すぐ先の信号で立っている少女が目に入った。
やたらと長い黒髪が目を惹いたのかもしれない。
何だかふらふらしてっけど、この陽気じゃあ仕方ないかもな。
分かるぜー、その眠たくもなる気持ちはよ。
……って、おい!ふらふらし過ぎじゃねえかあの馬鹿!
「おいっ」
叫びながらガキの腕を掴んでこっちに引っぱる。
「何やってんだお前!死にたいのかっ!」
寝ぼけるのも大概にしとけってんだ。せめてオレのいないトコで寝ぼけてくれ。
「あ………」
こっちの眠気はとうに去ったというのに、本人は相変わらず虚ろな目をしている。
まるでオレの声なんか聞こえちゃいないみたいだ。
「おい、どうした?」
「呼んでるから………」
「何?」
「行かないと………ひとりは、嫌だから」
そう言ってその少女はオレの手を振り切ろうとする。
「ああ、くそっ!待てっての!」
「離して………」
「離せるかっ」
何なんだコイツは。寝言は布団の中だけにしろっつーの!
とにかく放っておいたら何するか分かったもんじゃあない。
ガキの腕力に負けるほどオレだって怠けちゃいないし、幸いまだ店からさほど離れてもない。
「ったく、何なんだよ一体!」
あっさりと打ち砕かれた休日の空の下、文句を言いながらガキを引きずり続ける。
全く、神様ってヤツも気が利いてるぜ。嫌味なほどな。

その後、とりあえず店で一旦落ち着かせ、そのまま今住んでいる所に案内させた。
当然、その腕はひっ掴んだままだ。危なっかしくて放し飼いなんてできやしない。
……保護施設、ね。
とりあえずそこの園長にガキを引き渡すと、慇懃な礼とお茶、それとお茶菓子が返ってきた。
せっかく出してもらったもんだし、あのガキを引きずって喉が渇いていたんでありがたく頂戴する事にする。
「なあ、オバサン。アイツ、親いねえからここにいるんだろ?何でいねえのか聞いてもいいか?」
煎餅をかじりながら、園長に尋ねる。
別段、人のプライバシーなんぞに興味あるタチじゃない。そういうのはマスコミとおばちゃん連中の担当だしな。
だが、あの目はちょっと普通じゃあなかった。だから、少し気にかかっていたのかも知れない。
「聞かれない方が、良いと思いますよ。人が解決できる傷ではないかも知れません、それこそ時間に任せるしか」
「いいから話せよ。黙って茶を啜ってるのも芸がねえ」
少し苛立ちながら園長の言葉を遮る。
当然こいつらが何もしなかったワケはないだろうが、時間に任せるって言いぐさが気に入らなかった。

しかしそこで聞かされた話は、さすがのオレでも手が止まった。

獅子の親だって我が子を谷底に落とすだろうが、あの世にまで叩き落としやしない。
ましてオレ達は人間だ。獅子じゃない。
すっかり冷めたお茶を啜り、一旦気を落ち着けようとする。
「で、この保護施設の父親ってなどいつだ?」
「いません。この施設の大人は私を含めて、女性のみです」
「でもさ、オヤジにやられた傷って、オヤジが何とかした方がいいんじゃないか?ま、素人意見だけど」
「そうですね、そういった見方もあるのかも知れません」
園長は伏し目がちにそう言っただけだった。
ずずーっと行儀悪くお茶を啜りながら、ふと思いつく。
「じゃあよ。試しにオレにちょっとアイツ……なんつったっけ、ああ、夜霧か。夜霧を預けてみねえか?」
「………はぁ、家庭での保護ですか。それは…可能といえば可能ですが」
唐突に施設に来た人間が何を言い出すのかと、かなり困惑した顔だ。
「オヤジがいないんだったら、試しにオヤジのトコで暮らしてみたっていいんじゃないか?」
「いえ、確かにそういった試みはまだした事は無いのですが、はぁ………」
「ああ、オレも別に一人暮らしじゃないし、そういった野暮な心配なら無用だぜ?何よりガキなんぞに興味はねえ」
「しかし、………はぁ、それは良いですが養育費等の問題があの子の場合、こちらの管轄ですので」
「別にアンタらに金寄こせだなんて言やしねえよ」
「なにより、あの………。あの子の気持ち次第ですから、こちらとしてもできるならそうしたいのですが」
あー、もー面倒臭ぇ。問答は止めだ。
「ぐちぐちうるせぇんだよっ!オレがいいって言ってんだ!!」
テーブルに店の名前入りの名刺を叩き付ける。
誘拐でも何でも警察に届けりゃあいい。どうせガキ絡みのゴタゴタでもう名前は知られてるしな。
煎餅ごっそさん、とだけ言い捨てると園長室のドアを開け放つ。
そこには例の少女、夜霧が突っ立っていた。
ずっとここにいたのだろうか?
「おい、お前………夜霧でいいんだったよな?」
いきなり名前を呼ばれた事に戸惑いながらも、こくりと頷いた。
「よし、夜霧。お前は、今日からオレの家族だ」
「………え?」
おーおー、困惑してる。
まあ、本人の意思確認が後回しなんじゃあ、誘拐って言われても仕方ないかもなぁ。
「だから、もう死のうとしたりすんな。いいな」
「………どうして?」
どうしてって、コイツは天然か?
「オレはな、死のうとしてる奴を『はいサヨウナラ』と見捨てられるほど人間できちゃいないんだ」
そんだけ人間できてりゃあ、今頃はもっと気楽だったろうに。
「だから、今からオレはお前の『父親』だ。いいな」
返事が返ってこないもんだから嫌がられてるのかと思ったが、夜霧の表情にそういった色は見えなかった。
「ほら、とっとと荷物まとめて帰るぞ」
だから、もう家族だと言うことを宣言するようにそう言った。
オレ一人じゃあどうにもできないんだろうが、家にいるアイツらの順応力が、今は随分とありがたく感じる。
しかし本当に、神様ってヤツは気が利いてるもんだ。
きっとそいつは、この世界で一番嫌がらせが好きな奴に違いない。
でなけりゃ、ここで夜霧を泣かせて、オレを困らせたりしなかっただろうから。




それからの生活は結構な苦労が多かった。
ガキを4人も抱え込んで、みさきにいつの間にか財布の紐を握られて、当然オレの小遣いは少なくなって。
つーか何でオレが小遣い削られなきゃいかんのよ?
しかし!そんな生活の中で、久々のチャンスがやってきた!
隣町の駅前に、新しいパチンコ屋がグランドオープンするのだ!
グランドオープンならド素人や子供が打ったって負けやしない。ここで今月の小遣いを一気に倍増させる作戦だ。
初日となる今日は夕方6時オープンなので、それに合わせて駅に向かっていく。
この前、仕事をこっそり抜けて整理券を貰いに行ったので、当日組のように朝っぱらご苦労にも並ぶ心配もない。
こういった日は雨の中を歩いていたって少しも苦にはならない。むしろウキウキしちゃうほどだ。

どんっ!

っと、浮かれていたら何かをぶつけてしまったらしい。
「いたた……」
「おっと、大丈夫か?」
やべ、ケロちゃん人形とかじゃなくてガキにぶつけちまったようだ。
「あの、ごめんなさい……ちょっと、ぼーっとしてて」
言いながらそのガキはふらっと倒れ込んでくる。しまった、うっかり経絡秘孔でも突いちまったんだろうか。
「お、おい……大丈夫か?」
「あ、うん……ちょっとふらっとしただけだから」
「うーん……どうすっかなぁ……」
溜息をつきながら、頭を掻きむしる。

やられた。

経絡秘孔には当たってなかったんだが、どうやら野良猫に当たってしまったらしい。
グランドオープンだから、いつもより財布に気を配ってたから気付いたものの、大した腕だ。普段なら気付けやしなかったろう。
しっかしなぁ、ひでぶーされるよかマシだけど、丸ごと持って行かれると今月のオレがひでぶーなんだよなぁ。
「送っていってやりたいんだが、ちょいと急ぎでな。一人で帰れるか?」
少しだけ探りを入れるつもりで聞いてみる。もしかしたら本当に傘を忘れただけ子供かもしれない。
が、こくんと頷いたその顔は見事なまでのポーカーフェイス。
まあ、あの腕にこのポーカーフェイス。ただの迷子って方がおかしいわな。
「そっか……ん?」
できるだけ自然にポケットを漁る仕草をする。
「ど、どうしたの?」
「ん、ああ……いや、ちょいと財布を落としたみたいでな……」
「あ、それなら、これじゃない? さっき、向こうで拾ったよ」
「お、ちょい貸してくれ……」
適度な濡れ具合だ。こりゃあトロい奴は信じるだろうなぁ、中身を確認もせずに。
そう思い確認してみると案の定。数枚の諭吉さんが散歩に出ていた。
すぐに打ち始められるように両替してあった漱石軍団は手付かずってところがちゃっかりしてる。
これなら厚みですぐに感づかれもしないだろう。
にしてもだ。ホントに参ったなあ、グランドオープンだからって、大当たりにも程があるじゃないか。
ビッグボーナス!とかそういった幻聴すら聞こえる気がする。
「ああ、これは俺のじゃないな。中身が違う」
半分演技、半分本気でがっかりしながらガキに財布を放り投げる。
「拾ったんなら、交番に届けとけよー。そこまで面倒見るわけには行かないから、もう俺は行くけど」
ぽんぽんと頭を叩くと、大人しく家路についた。
あー、負けだ負け。ボロ負けだ。やっぱりギャンブルなんてするもんじゃあない。
とりあえず帰ったら、みさきに少しだけ来月の小遣いの前借りを交渉しなくちゃな。・・・勝ち目薄いけど。


それから数日、1カートン分の小遣いだけ了承を得たオレはいつもの煙草屋へと向かっていた。
はぁ、しばらくは一日3、4本に押さえないとなー。
まあ、ガキ共に話した案件が通ったなら、これからずっとそうなるんだろうけど、さ。
そう思うと、どうしてもがっくりと上半身が垂れてくる。
地面とにらめっこしながら近くの公園を通りすぎる時、騒がしい声が聞こえて顔を上げた。
あの野良だ。
……っちゃー、まーたトラブルに巻き込まれてんのかよ。
どうやらただのビッグボーナスじゃなくて、連チャンモードに入っていたらしい。いらねえけどな。
相手は野郎が4人、真っ当に行けば勝てねっか。オレ、ケンカとか苦手だし。
が、どうにも悩んでる暇もなさそうだ。
仕方ねえ、足りない分は嘘とブラフとハッタリでカバーするっきゃないか!
我ながら頼りないと思いつつ、振り下ろされる拳の元へ走る。

ぱしっ!

ナーイスキャッチ、まるでヒーローだなオレ。
「な、なにすんだてめぇ!」
お決まり過ぎるセリフだこと。センスねえったら、ちったあ富○監督の脚本見習えってな。
「俺の娘だ、迷惑があったなら謝ろう。だが、手を出すほどのものならだ」
余裕の表情で涼しげに告げる。決して目を逸らさず、飽くまで強気に。
取り巻きのポジションからしてこいつがボスだ。ボスが引けば、周りも引く。
頼むぜ、冷静になるなよ……。冷静に考えられたら、病院送りだ。……オレが。
「ちっ……」
舌打ちをして男はガキから手を放すと、取り巻きを連れて引き下がっていく。
ふぃー、馬鹿で助かったぜ。ポケットからもう片方の手を出すと、やっと一息つけた。
ポケットの中で既に携帯電話の「110」を押して、通話ボタンの上で親指を待機させていたのはご愛敬。
せっかく税金払ってんだ。やっぱ公務員はできるだけ使わないとな。
「……ふぁ……」
ぺたんとガキがしりもちを付く。
「お、おいおい、大丈夫か?」
しまった、すっかり忘れてたぜ。
「……まぁ、いいや。とりあえず、立てるか?」
「……えっと、無理」
だろうなぁ。
「あ、あの、えっと……」
「しゃあないな」
苦笑しながらガキをひょいと負ぶる。
やれやれ、煙草買って帰るつもりが、野良猫拾って帰る羽目になるたあね。
「あれ?」
「とりあえず、怪我してるみたいだし手当してやるから黙って負ぶさってろ」
返事はなかったが、じきにぼふっと、そいつの体重が背中にのしかかってきた。
・・・軽いな。
このくらいなら、まだ何とか背負える、か。

その後、例のガキ共に話していた案件が通り、その野良猫……しるぴんはウチの家族となった。

余談だが、せっかく帰ってきた財布もしるぴんの衣料代となり、歓迎会がてら大人数で飯を食いに行ったりで全て消えさってしまい、
オレがこの月は財政ひでぶーのままだったのが、未だに納得いかない。




ジジッ……
「だあっちゃ!」
根本まで侵攻してきていた煙草の火で意識が戻る。
「ったく、煙草の火が危ないなら黙って見てないでそう言えってんだ」
右手をひらひらさせながら墓石に向かって無茶を言う。
当然黙ったままの墓石を見つめていたら、頭の中に水滴が落ちたように、ふと気付いた。
いや、気付いたというよりは、理解したといった方が正しい。
昔から、ずっと不思議だったんだ。
何でオレみたいな奴が、あいつらを助けちまったのかって。


アイツの分身を放っておけなかった。

アイツの親友の娘だって放っておけない。

アイツの様に親に必要とされない奴を無視できなかった。

アイツと同じように自らを流そうとする手も放すわけにはいかなかった。

アイツと同じで人と少し違うからってあんな目に遭わせておけなかった。


そうだ。
結局オレは、あの日助けられなかった上総を、助けたかったんだ。
情けない代償行為だと言われれば、反論する余地もない。
けれど、それに対して後悔の念なんかは微塵も浮かんで来なかった。
「……助けられた、のか……?」
独り言とも、質問ともとれない声で呟く。
誰も答えやしないし、オレにだって答えは分からない。

けど、あの日のまま、時折痛みを訴える右手を、風が柔らかく撫でていった。


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