father side ]V「おせっかいの記憶(後編)」


ぷか〜・・・。

今日も今日とて、閑古鳥が鳴く昼下がり。
一通り昼飯後の一服を楽しむ連中の相手を済ますと、また店内に静かな時間が訪れる。
たまに、こんな生活で死にやしないか、などと軽口を叩かれたりもするが、そんな事はない。
コーヒーというのは、原価率の非常に低い売り物なのだし、人件費は言わずもがなオレ一人。
オマケにウチは一杯出しの珈琲専門店を謳っている店なので一杯あたりの価格も少し高い。
さらには、照明を雰囲気作りという名目の元に控え目にし、
客のいない時間帯は消防法に違反して、換気扇とかを止めたりもするので意外と電気代も抑えている。
そういった諸々のインチキ・・もとい、小ネタ・・いやいや、テクニックによってそれなりの収入は有るのだ。
故に暇な時間がちょくちょく転がり込もうと、野垂れ死ぬ心配などはない。
そんなワケで、暇に任せて好きなBGMを流し、好きなコーヒーの香りに囲まれ、好きな煙草を味わいつつ、好きな小説を流し読む。
この閑古鳥と過ごす昼下がりは、一日の中でオレの特にお気に入りの時間なのだ。

・・・いや、お気に入りの時間『だった』。

そんな過ぎ去ってしまった、そう遠くない過去に思いを馳せていると、
がらんがらんっという無粋な音が今日もオレの安息の時間に幕を降ろす。
「いらっしゃい・・・」
パタン、と文庫本を閉じながら、溜息と社交辞令とが混ざり合った輪っかを吐き出す。
「ほらほらー、何よそのジト目は。ちっとも歓迎の空気がないわよ」
「そら、別段歓迎しちゃいないからな」
人の切実な悩みをからからと笑い飛ばしながら純が入ってくる。
「それから、お客の前で煙草吸うのやめなさいっていつも言ってるでしょ」
「うるせぇなぁ、どうせ暇な時しか吸ってねえんだ。そうカタイ事言うなよ」
そう言って挑発のようにまた一つ輪っかを浮かべてみせた。
「うるさかないわよ、ただでさえ喜んで毒吸ってるんだから。そんなもんで頭に輪っか作ってると、ホントに死んじゃうわよ?」
「あー、今日も静かでいいねー」
もはや日常の挨拶となっている暴言を吐きながら、上総が煙草論争を中断させる。
「うっさい、さっきまではそれなりにリーマン連中がいたっつの」
「あはは、そんな無理しちゃってー」
事実を述べたところでこの扱い、もうどうすりゃいいんだか。
などとオレがうなだれている隙に、すでに二人はカウンターの定位置を陣取っている。
半ば諦めながらオレは煙草をもみ消すと、黙っていつもの豆を三人分ミルへと放り込み、スイッチを指で弾いた。
最近は二人してほぼ毎日、同じ時間に顔を出す上に、注文はこればかりなので、顔を見たら勝手に用意して出してしまうのが習慣となっている。
何でも病院生活が長い上総の散歩時間と、次の仕事までの空き時間に少し余裕がある時間が丁度この時刻になるのだそうだ。
このブレンドを用意するのが面倒といえば面倒だが、いちいち注文の確認をしなくても良いので差し引きゼロ、といったところだろうか。
あー、けど豆の準備の方が面倒だな。やっぱマイナスだ。
そんな愚にも付かない事を考えていると、ミルが豆を挽いている音が次第にかるくなっていき、カラカラと空回りを始めた。
最後まで挽き切るために、そのまま少し回して、スイッチを切る。
ペーパーフィルターに挽いた豆を移し、カウンターの方に向き直ると二人は何やらいろいろと雑談の真っ最中らしい。
ドリッパーにセットしながら、よくも女ってのは話の種が尽きないものだとつくづく感心する。
豆に湯をかけながら何となしに聞いていると、どうも純のガキの話らしい。
そういや女ってのは得てして子供好きなものだっけな。
母性本能とやらがそうさせるのかどうかは知らんが、まぁ、少なくともそんなものを持ち合わせちゃいないオレには理解できん話だわ。
「え、て言うか、みさきちゃん、いくつでしたっけ?」
「6歳よ、まだ小学校に上がったばっかり」
「な、なんでそんな子に女の涙は最後の武器だとか、そういう話してるんですか?」
「あら、例えいくつだろうと、女の涙が強力な武器であることは変わらないわ。
 それに、ちゃんと最後の武器って教えてるもの。最後にならない限り他の手を考える頭の良い子よ」
「はあ、そういうものですか」
何だか、聞こえてくる会話を聞く限り、先程のオレの予想は大きく的を外しているようだ。
少なくとも、母性本能がさせるような会話ではないような気がする。
「そういうものよ。あの子は、今の私の全てだもの。
 だから、私の持ちうる全てをあの子には与えるつもり。もちろん、愛情も含めてね」
「えへへ、今度遊びに行かせてくださいね」
「もちろん、歓迎するわ」
・・・・・。
母性本能ってのも、どうやら一筋縄でいくものじゃないらしい。
これ以上聞いているとワケが分からなくなってきそうなので、大人しく目の前で落ちていく琥珀色の雫に集中することにした。


「はいよ、お待たせ」
カチャンッと音を立てて二人の前にソーサーとスプーンをセットしたカップを置き、話に集中していた意識をこちら側へ呼び戻す。
話で喉が渇いていたのだろうか、二人してグラスの水を一口飲んでからカップを手に取った。
そんな様子に苦笑しながら、カウンターに背を向けると、棚からディッシュプレートを2枚取り出す。
「後は、ほれ。どーせ今日も次の仕事までロクに時間ねえんだろ?」
そう言って二人の前にトーストとバターを乗せたプレートを差し出す。
顔の前をプレートが通過する時に、ほんのりと焦げたパンの香りが鼻先をくすぐる。
表面はカリッと狐色に焼けているが、切れ目から覗く白い中身はふっくらとしたまま。
その色のコントラストがまた、視覚的にも食欲を刺激する。
「うひょー美味そー。さすがオレー」
「アナタ、頭悪いでしょ」
「そんな事ないぞ。こんなに美味そうなのに誰も褒めてくれないから、
 消去法で自分が褒めるしかないじゃないか」
「そんな事ないよ、ちゃんと美味しーよ?」
見ればすでにバターを塗りつけ、ぱくぱくとトーストをほおばりながら上総が上機嫌そうにこちらを見ている。
「つか喰うの早えよ」
オレの見間違いでなければ、すでにトーストは三分の一ほどその姿を消してしまっている。
「だって美味しいんだもん、このパン」
「まあパンが美味い、というよりも、あのプレートで焼いてるってのが大きいんだろうな」
そう言いながら、キッチンに設置された鉄の塊を背中越しに親指で指してみせると、
上総は頭をひょいと動かしてオレの背後を覗き込んだ。
「ああやって200度くらいに温度設定してやった鉄板で挟んで焼くとな、表面はすぐ焼けるが、中の水気が飛ばないんだ。
 だから表面はサクッと、中はふんわり、といった具合になんだよ。
 オマケにパンもバターも業務用だからな。これで美味くならないワケはない」
「おぉ〜・・・」
などと感嘆の声をもらしながら、上総はトーストを食べる手を止め真剣に感心している。
全く、こんなものに何を真剣になってるんだか。
ま、かく言うオレも、このプレートで焼いたパンは好きなんだがな。
朝に開店前の掃除をしつつ、ここでパンとコーヒーの軽い朝食をとるのが日課になってるし。
「いいなー、毎朝これで朝ご飯食べたいなー」
「おお、オレはこいつで毎朝喰ってるぞ」
あまりに良いタイミングでそんな事を言うもんだから、全力で自慢してみる。
「あ!何それずるーい!」
「いや、ずりぃってお前、ガキかよ・・・」
「あっはははははは!」
思わず漏れた溜息が隣からの笑い声でかき消された。
「はぁ、何がそんなに面白いんだか」
「ううん、けど、いつも悪いわね」
純はまだ少し笑いながら、トーストをまた一口かじる。
「まあ、過労で倒れでもして、せっかくの常連が減っちまうのはこちらとしても避けたい所だからな。
 飽くまでこっちの都合だ、こっちの」
「あらそう。それじゃ、これからも売り上げに貢献させてもらうわ」
「そいつはどうも、期待してるよ」
そう答えながら、プレートに挟まれた自分のおやつを取り出す。
二人のトーストを取り出した時に、入れ違いで放りこんでおいたやつだ。
バターを塗り、もそもそとかじっていると、二人が不思議そうな目でこっちを見ている。
「・・・ねえ」
「それ何・・?」
「いや、耳だけど」
さも当然のように答える。
ちなみに耳といっても、食パンの四辺ではない。
食パン一斤の両脇のあの部分だ。
つまり、見た目に反して白い部分は意外と多いワケで、オマケに先程述べた理由により結構美味い。
そういったワケで朝の時間帯、朝食がてらに寄っていくサラリーマン達がトーストをかじって行く際に発生した両端の切れ端は、
オレの午後のおやつとなる。・・・のだが。
「んで、何だね、君らのその目は」
「何でちゃんと白い所食べないのよ?」
「だってそこそこ美味いし、勿体ないじゃないか」
「私にタダで白い部分おまけするくらいなら、ちゃんと自分も食べなさいよ!」
「だから勿体ないだけだって、それに生ゴミも減るしよ。つーか何で喰ってもねえお前が怒るんだよ」
相変わらず変な所で起こる奴だなぁ。
別に妙なもの喰わせてないんだから、黙って喰ってりゃいいのに。
「ねぇ」
「あん?」
今度は何だと思って上総の方に顔を向ける。
純と違い、こっちが眉がハの字になっていた。
「道化氏さん、食べる?」
そういっておずおずとトースト(しかも食いかけだ)を差し出してくる。
何と言えばいいのだろう。
決して悪気があるわけではないから、頭ごなしに阿呆とは呼べないし。
どうしたもんかね・・・

くぅ〜・・・きゅるる・・・

・・・って、悩む事もなかったな。
「ほら、いいからお前食え」
「はい・・・」
そう呟くと、決まりが悪そうにうつむいて大人しく食事を再開した。
全く、腹減ってんなら余計な事言わなきゃいいのにな。
何考えてんだか、と思って上総の顔を見ると何やら「うぅ〜」と唸っている。
はぁ、まるで手間のかかる小動物だな。
頭の中でだけ、やれやれと肩をすくめながら苦笑を漏らす。
「まあ、何だ、気遣いはありがたかったから、そう呻くなよ」
「あ、・・・うん」
それだけで気分も晴れたのか、あとは唸ることもせず、平和にパンをかじっていた。
いやホント、なんでパン一切れ喰うに苦労せにゃならんのだか。


「そういえば、ここってトースト以外には食べる物って置いてないわよね?」
トーストを食べ終わり、一口飲んだグラスを置くと、唐突に純がそう切り出した。
「まあ、朝のモーニング時以外に食い物を喰いそうな客来ないからな。あとメンドイ」
おそらくまた面倒な事を言い出すような予感がしたので、いけしゃあしゃあと経営者らしからぬ台詞を言い放つ。
「当たり前でしょ、メニューがなければ来るものだって来やしないわ」
出鼻を挫くつもりがかすりもしていなかった。それどころかカウンターをもらったくさい。
「見た感じ、設備自体はあるんでしょ。簡単なランチくらいやってみたらどう?」
他人事だと思って気軽に言ってくれる奴だ。
「確かに設備もあるし、道具一式だってある。仕入れだって、今の業者でなんとかできる」
「煮え切らないわね。全部揃ってるじゃない、何が問題なのよ?」
言葉の内容自体は肯定でも、口調が否定的だったせいか、純が先を促してくる。
「肝心の腕がない!オレにはオレが文句を言わない程度の料理の腕しかない!
 従って人様から金を取るような物は作れない!以上!」
決まった。
完璧なフィニッシュブローだ。
作れないものは出せない、面倒臭いなどという本音を遙かに凌駕する説得力。
さぞがっかりしたことだろうと、純の顔を見やる。
「何だ、そんなこと」
けろっとしてやがった。
「いや、そんなことってな。作れないものは出せないだろうが。
 それとも何か、適当な素人料理で金取れとでも言うつもりか?」
あっさりとフィニッシュブローをいなされた動揺から、少し早口でまくし立てる。
「安心しなさい、別にそんな詐欺みたいな真似はさせないわよ」
そう言うと、まるで勝利の笑みとでもいうように純はほくそ笑む。
「アナタが作れなくってもね、作れて、しかも時間も持て余してるのがここに居るでしょ?」
「は?」
言っている意味がさっぱり分からない。
「あ、ちなみに私はいろいろと忙しいから」
そんな事は百も千も承知している。
そしてオレも作れないとさっき自分で言ったばかりだ。
となると、消去法で導かれるのは、
「・・・へ? 私!?」
上総が自分を指差しながら、オレと純の顔の間をキョロキョロと見比べている。
実際に鳩が豆鉄砲をくらったら、丁度こんな感じになるだろうか。
いや、というか、こっちがくらったのは豆鉄砲なんてもんじゃない。
「何、お前、飯作れんのか・・・?」
「疑う気持ちも分からないではないけど、上総の腕前は相当のものよ?
 病院の栄養士達と話して、きちんと栄養バランスを保ったまま患者達に好評のメニューに作り替えちゃった逸話まであるんだから」
「そ、そこまでなのか・・・」
な、なんてことだ。
人は見かけによらないとは言うが、まさかコイツが真っ当な飯を作るなんざ、予想外の隠し球だ。
死角からのパンチどころじゃない。パイプ椅子攻撃くらいのダメージはあった。
それはボクシングじゃなくてプロレスだ、なんて問題が些細に感じるほどのダメージだ。
いや待て。
確かに予想外の方向から攻撃が飛んで来たが、まだ負けたわけではない。
まだリングに立っている。
「いやいや、仮に上総が作れたとしてだな、本人がそんなことしないと言ったらそれまでだぞ!」
そう叫んで顔を上げる。
「うわー、いいですねー!私、こういうお店でお料理するのってちょっと憧れてたんですよー!」
「そうでしょ。それに上総が厨房に入ってくれれば、私はランチに幅ができたりといろいろ便利になるもの」
「簡単なサンドイッチのバリエーションとか、サラダみたいなのだったらすぐにでもできそうですよ!」
「私としては少しお腹にたまるボリュームのあるサンドが欲しいわね」
「というと、BLTとか、クラブサンドみたいのですかねー?」
本人がやるやらないの話どころか、既に二人してメニューどうこうという話をしている。
何だかとても「やらない」とは言い出せない雰囲気だ。
おかしい・・・。
ここはオレの店のハズなのに、オレの意志が介在しないまま結構大事な話が決まっていく・・・。
遠い何処かでゴングが鳴り響いたような気がして、
オレはがっくりとうなだれるしか道がなかった。


そしていつものように、次の仕事があるからと純が先に席を立った後、改めて上総に確認する。
「で、何。お前、本気でやる気なのか。律儀に純の戯言になんか付き合わなくてもいいんだぞ?」
こいつは巻き込まれ型なところがあるから、嵐が去った状態で一応のフォローをいれておかないとな。
多分、純のノリに負けて、ずるずると何でもやってしまいそうだし。
「だからまあ、無理はすんなよ」
と、もう一度だけ念を押しておく。
これだけ言っておけば、本人もいないことだし、純の気まぐれに振り回されることもしないだろう。
からから笑いながら「だよねー」とか言い出すもんだろうと思って、顔をのぞき見る。

「・・・うん。ゴメンね」

その覗き込んだ顔は、少しもからからと笑う様子もなく、ぽつりと謝罪の言葉を呟いただけだった。
いや、何でこいつが謝ってるんだ?
「そうだよね、いきなりこんな話したって、迷惑なだけだよね」
いつもは散々言いたい放題だってのに、別に謝らなくてもいい所で謝ってる。
その様子が、いつもと違いすぎて。
「あ、ごちそうさま。それじゃ、私も帰るね!」
知らず、立ち上がった上総の手を捕まえていた。
「あ・・・」
「あー、いや、その・・・、何だ、ホラ、あれだあれ・・・」
別に何か用事があって呼び止めたワケでもないので、言うべき言葉が見つからない。
何か言わなけりゃと思って、上総の顔を見ると。
「・・・っ」
瞳が潤んでいた。
目に涙を浮かべて、でもそれを零すまいと必死に抑えている。
台詞を探したつもりが、逆に何も言えなくなっちまった。

何で純はいきなりあんな事を言いだしたのか。
何で上総はそれにノリノリだったのか。
何でたかがウチの店のランチで泣くことがあるのか。
何でフォローを入れたのに泣かれなきゃならんのか。
何で純の話に乗っただけのこいつが謝らないといけないのか。
何で泣くほどの事なのに、黙ってこいつは帰ろうとするのか。

さっぱり分からない。
さっぱり分からないけど、それでも、一つだけ分かった。

オレは、こいつに泣いて欲しくねえ。

こっちの理由もさっぱり分からねえが、駄目なもんは駄目だ。
こいつはいつもみたく、馬鹿なこと言って脳天気に笑っていなきゃ落ち着かねえ。
それに、こいつは確かに巻き込まれ型なところがあるけど、嫌な事はちゃんと嫌だという奴だ。
そんなこいつが、本当に楽しそうに純とメニューやら何やらの話をしてたんだ。
なら本当にやりたがってるに決まってるじゃないか。
だったら、やらせてやりゃあいい。
面倒な事を考えんのも、面倒な事をすんのも後回し。
そう腹を括ると、掴んでいた手を離し、上総の頭へぼふっと乱暴に掌をおいた。
「お前、日本語はしっかり聞けな」
「ふぇ・・・?」
さっきまで互いにいつもの様子じゃなかったのを、強引にいつもの調子へ持っていく。
上総も急にこっちがいつもの空気になったもんだから呆然として逃げようとはしなかった。
「オレは、無理にやらなくてもいいんだぞ、とは言ったが、別にやるなとは言っちゃいない」
「・・・え?へ?」
「だから、その、お前がウチで働きたいっつーなら、その、別にお前をバイトとして雇うことにやぶさかではない」
「えっと、その、い、いいの?」
まだ目を白黒させている上総の頭をがしがしと揺するように撫でる。
「日本語はしっかり聞けって言ったろ。オレが駄目だって言ってるように聞こえるかよ」
「あ、うん!ありがと!がんばるよ!」
上総の表情がぱっと明るくなる。
ようやく笑った。
雨上がりの雲の切れ間に似ている、そんな風にも見える笑顔だった。
「つーか雇ったからには、こき使うかんな。覚悟しとけよ」

そして一週間後、太陽が高くなってくる時間になると、The Three Coffinsの入り口にこれから新しく使っていくプレートを初めて掛ける。
「lunch time」と書かれた真新しいプレートが風に揺られ、カランッと音を立てる。
そんな様子を満足げに眺めながら、店内に戻る前にかるく一服していこうかと、ライターを取り出した。



シュボッ



話しながら、三本目になる煙草に火を着ける。
長いこと話ながら、煙草を吸ってばかりなのでいつもより少し苦い。
「まあ、そんな事がきっかけになって、あいつと一緒になって。
 別れもいろいろあったが、お前達に会って。
 気付けばこうして、あの頃と変わらない場所で父親の真似事なんざやってる。
 多分、純が世話焼いてくんなけりゃ、オレは何も気付けずにまだ一人でぶらぶらしてたんだろうと思うよ」
そこまで話すと、かるく一息つく。
本当に、思い返せば純には世話になりっぱなしだったな。
何一つ、ロクに礼もできやしなかった。
そういや、みさきはどんな顔して話を聞いてるんだろうと思って、向かいのソファへ視線を向ける。
少しうつむいていたので、表情は分からない。
やっぱり話すんじゃなかったかな、と思い頭を掻いていると、急にみさきが顔を上げる。
その顔は、笑顔だった。
「何がそんなに嬉しいんだか」
「ううん、別に。やっぱり、お母さんはお母さんだったなぁって」
「は?」
何を今更な。
そもそも純は場所や相手で態度を変えるような奴じゃないだろうし。
「それにね、嬉しかったの。お母さんはあたしを独りにして死んじゃったんじゃなかったって分かったから。
 お母さんは、あたしがみんなと出会うきっかけをつくってくれていた。
 あたしを、もう一つの家族と繋いでくれたんだよ」
ああ、そういう事か。
「ま、あのおせっかいが大事な一人娘を、死んだくらいで放っておくワケはないだろうな」
そう思うと、少し笑えた。
全く持ってあいつらしい話だ。
「さて、もう結構な時間になっちまったし、昔話はこのくらいにしておくか」
半分ほどの長さになった煙草を消すと、灰皿を持って立ち上がる。
「うん、そうだね。それじゃおとーさん、おやすみ」
そう言うと、みさきも立ち上がりドアの方へ向かう。
「あ、そうそう」
ドアノブに手を掛けたところでこちらを振り返り、
「『お母さん』と『おかーさん』に負けないように、ちゃんとお店は流行らせてあげるから!」
そう言い残すとドアの向こうに消えた。

一人取り残されたオレは、
「あーあ・・・」
頭をわしわしと掻きながら、
「やっぱ、話すんじゃあなかった、かな・・・?」
なんて後の祭りと分かりつつ、溜息をつくしかないのだった。


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