father side ]U「おせっかいの記憶(前編)」


ぷか〜・・・。

ガキ共も寝静まって静かになったリビングで、煙を輪っかにして吐き出す練習をしてみる。
この行動に、特に意味があるわけじゃない。
上手いこと寝付けない時なんかは、くだらない事をしている方が睡魔って奴は声をかけてくれるもんだ。

ぷか〜・・・。

「くそ、上手くいかねえな」
何故だか以前より成功率が低い。
そんな事にこだわらず、さっさと寝ちまった方が百倍マシだというのに、妙にくやしい気がした。
やっぱり、人間自分に打ち勝つってのは大事だよな。

ぷか〜・・・。

そんな風に熱中しちまってるもんだから、睡魔ってのも声をかけづらいのだろうか。
一向に眠気も来ず、無駄に煙を大量生産している始末だ。
天井の付近にはうっすらと雲がかかっている。
屋内に雲とは、昨今の異常気象もいよいよ深刻らしい。
「おっかしいなぁ」
あんまり熱中していたもんだから、
「おかしいのはおとーさんだよ・・・」
「だぁっちちちっ!」
背後から投げかけられた呆れ声に、煙草を取り落としそうになってしまう。

「なんだ、みさきか。あんまりおどかすなよ」
かるく心臓がバクバクいっていたが、飽くまで平静を繕って答える。
「なんだじゃないわよ。ただでさえ体に悪いもの吸ってるんだから、
 そんなもので頭の上に輪っかまで作ってたらホントに体壊すよ?」
・・・・・。


『うるさかないわよ、ただでさえ喜んで毒吸ってるんだから・・・


・・・・・。
「・・・おとーさん?どうしたの?」


・・・そんなもんで頭に輪っか作ってると、ホントに死んじゃうわよ?』


「ん、ああ、いや、あんまりアイツと同じこと言うもんだからよ」
「アイツ・・・って?」
言ってから、少ししまったと思い、口をなでつける。
隠すような事でもないが、かといってあまり喜んでするような話でもない。
しばし躊躇してみたものの、『言われれば聞くし、聞かれれば答える』という今までのスタンスに倣うことにした。
煙草をかるく吸い込み、少し間を置いた所で、
「・・・純だよ。お前の、お袋さんだ」
紫煙とともに、簡潔にそう吐き出した。
「・・・え?」
みさきにとって、そんなにも意外な答えだったのだろうか。
間抜けな返事一つするのにも、少し間が空いている。
「ホント、最近はあいつとよく似てきたよ。
 店を繁盛させるおせっかい案を考えたりするところなんか、ホントそっくりだぜ」
「・・・そう、なんだ」
少し昔を思い出しながら、根本近くまで灰になりかけていた煙草を灰皿に押しつけた。先端の赤が押しつぶされ、夜の黒に融けていく。
完全に火が消えたところで、新しい一本を取り出し、口にくわえ、
「で、お前はまだ寝ないのか?」
ライターを手で弄びながら、さっきから同じ場所に立ちつくしているみさきに声を掛ける。
ちらりと山になった灰皿を横目で見ながら、また怒られるんじゃないだろうかと警戒しているせいで、
くわえたままの新しい一本になかなか火が着けられやしない。
「ねえ、おとーさん」
「お、おう」
そらきたっ、と思いながら知らず背筋がのびてしまう。
弱えなぁ。

「あたしのお母さんて、どんな人だったの?」

「・・・は?」
今度はこちらが間抜けな返事を返してしまった。
「どうって言われても、なぁ・・・」
カリカリと頭を掻きながら視線を宙に泳がす。
この場合、昔のウチの常連だ、なんて今更な解答は求めていないだろうし。
実はCIAの秘密諜報員でした、なんて笑い話みたいな秘密があるでもないし。
というか、オレよりも実の娘であるみさきの方がよっぽど奴とは過ごした時間は長いし、
性格だの何だのも把握しているんじゃないか。
「いや、つーかオレなんかよりみさきの方がよっぽど奴のこと知ってるだろ?」
頭に浮かんだ疑問をそのまま聞いてみる。
「うん、そうなんだけど、あたしが知ってるのは『お母さん』としてのお母さんでしょ?
 おとーさんとか、そういう他の人の前じゃどういう人だったのかなって」
「なるほど、ね」
そういった意味での『どんな人』だったか。
さて、どう言ったものか。
などと悩むポーズを一応はとってみたものの、ポーズひとつで上手い言い方が浮かぶはずもなし。
結局のところ、毎度の如く馬鹿正直に答えるしかオレに選択肢はないようだ。
「そうだなぁ、ろくに人の話聞かないで、妙におせっかいで、そのくせおっかなくて・・・」
・・・あれ、なんだか言ってて腹が立ってきた。
「でも、凄ぇ友達思いで、だけどその友達とつるむとこれがまたタチ悪くて・・・」
そりゃもう当社比3.5倍くらい、という皮肉は何とか呑み込むことに成功する。
「けどまあ、一言で言っちまえば、いい奴だったよ。・・・本当にな」
「ぷっ」
ふいにみさきが吹き出す。
「おとーさん、なんだか全然褒めてるように聞こえないよ」
「そりゃ、褒めてねえもんよ」
くつくつと笑いを噛み殺しながらそれに答える。
「ああ、そうだ」
そう言いながら、笑うのを中断。
あいつの事を伝えるのなら、これも言っておかなけりゃいけないんだろう。
「そういや、オレがお前らに『おとーさん』なんて呼ばれる原因つくったのもアイツなんだぜ?」
「え?どういう意味?」
「まあ、ただの間抜けな野郎と不器用な女と、おせっかいなその女友達の昔話だよ」
そう言いながら、長いことくわえっぱなしで放っておいた煙草に火を着けた。



シュボッ



小気味よい音を立ててライターが小さな炎を吐き出す。
それにくわえた煙草を近づけ、かるく息を吸い込む。
ジジッとくわえている本人にしか聞こえないような音がして、先端に小さな火が灯る。
ゆっくりと肺まで煙を吸い込み、静かに吐き出して。
喫煙という行為の中で、やはり最初のこの一口が至福の時だ。
そして一本の煙草を吸い終わるまでのほんの数分で、この至福は紫煙となって空気中に霧散していく。
なんとも情緒のある話じゃないか。
心の平穏、儚い情緒、そして何より美味い。
やはり煙草っつーのは人類の生み出した英知に他ならない。
英知というのは行使されてこそ価値あるものであって、行使されるからこそ英知たり得るわけだ。
つまり、いくら仕事場であろうと、暇な時に煙草を吸うというのは決してサボリなどではなく、
この喫煙という行為そのものを英知へと昇華しているということなのだ。
よし、理論武装完了。
心置きなくこの一時を楽しm

「はーい、こんにちわー」

がらんがらんと無粋な音を立ててドアが開け放たれ、あっさりと至福の時は終わりを迎えた。
しかしあれだな、カウベルの音ってのは開けた奴の性格が出るな。
少なくとも今ドアを開けた奴は繊細という言葉とはほど遠い。間違いない。
いらっしゃいませの代わりに、盛大な溜息を一つ漏らした。
「何だ、上総か。相変わらずガサツな奴だな」
「こんちはー、相変わらずお客さん少ないねー」
こちらの皮肉には耳も貸さず、笑顔で暴言を吐く。これは上総だ。
「ねえ、いらっしゃいませも言わずに煙草吹かしてるような店長じゃ、上総がいくら宣伝しても無駄なんじゃない?」
上総の隣で、非難するようなジト目で暴言を吐く女。これは・・・いや、誰よ?
「いや、これはただ煙草吸ってるんじゃないぞ?喫煙という行為を英知という概念へと昇華しているんだ」
誰かは知らないが、とりあえず先程完成した言い訳を試みる。
「何トンチキなこと言ってるのよ?」
トンチキですか。
ものの見事に一蹴されてしまった。
完璧な理論武装も砂の防壁にすら及ばなかったらしい。
「いや、つーかおたく誰よ?」
カウンターに陣取った二人に水を出しながら、先程からの疑問を投げかけてみる。
「お客よ」
「いや、そうでなくてな」
「じゃあ、私の友達」
「お前はちょっと黙ってろ」
なんでこうイラッとくる答えしか返さねえかなコイツらは。
「聞いた通りよ。友達がいい喫茶店を知ってるっていうから連れてこられた、ただのお客さん」
「なるほどね。そりゃ、物の見事に騙されたもんだな」
「みたいね」
二人して同じように肩をすくめる。
もっとも、その行動が意味する所はまるで正反対なのだろうが。
「そ、そんなことないもん!コーヒーは良いもん、コーヒーは!」
「はいはい、アンタの美味しいモノセンサーは私も信頼してるから。そうふくれないの」
「いや、つーか『は』を強調するな、『は』を」
罵声に対して罵声でリアクションを返すのがコイツの疲れるところだ。
しかも無意識でやってくれるもんだから、余計にタチが悪い。
いちいち構っていたら会話が進みそうもないので、さっさと注文を促す。
「で、何にするんだ?またいつものでいいのか?」
「あ、私はそれでいいけど、純先輩は?」
「んーそうね、それが上総のお薦めなんでしょ。だったら私もそれを頂こうかな」
「あいよ」
短く答えると、煙草をもみ消し準備を始める。
ちなみに『いつもの』というのは上総が初めてこの店に来た時に作ったブレンドで、メニューには載せていないものだ。
あれ以来、上総はあのブレンドがいたく気に入ったらしく、メニューにある幾つかの種類を試したのだが、結局あのブレンドが良いと言う。
かったるい事この上ないのだが、数少ない常連の我が侭なので、頼まれれば嫌々ながら用意している。
本当に面倒臭いと思いながら挽き終わった豆をフィルターに移し、湯をかけながらちょっとした質問をしてみる。
「そういや、さっき先輩とか呼んでたけど、どんな関係なんだ?」
「ん?だから先輩後輩の関係だけど?」
「お前馬鹿だろう」
「なっ、質問しといて馬鹿はないじゃない!?」
端からこいつに聞いたオレが馬鹿だった。
いや、オレ『も』馬鹿だった、だな。
「上総は私の高校時代の後輩なのよ」
くすくすと笑いながら、隣から助け船が入った。
確か、純とかいう名前だったな。
先程の二人の会話を思い出しながら、頭の中でそう確認をする。
「とはいっても、同じ学校に居たのは1年だけだったけどね」
「こいつがおっぺけ過ぎて退学にでもなったのか?」
「アナタも馬鹿ね、単純に年が二つ離れているからよ」
「そら、ごもっともだ」
そんな馬鹿な事を言っているうちに淹れ終わり、三つのカップへと均等に注ぐ。
その内の二つにソーサーとコーヒースプーンをセットすると、
「はいよ、おまっとさん」
やる気のないかけ声と共に、二人の前にそれぞれカップを置いた。
二人がカップを手に取るのと同時に、オレも自分用のカップから一口飲んでみる。
ん、悪かねぇ。
「ふーん、結構おいしいじゃない」
「でしょ、コーヒーは悪くないって言ったじゃないですかぁ」
「だから『は』を強調すんなっつってんだろが」
飲んで一口目の台詞は実に三者三様。
というか、コーヒー褒められてんのに何でこうイラッとくるかなこいつら。
「でも、上総の言うとおりね、何でもう少し流行らせようとしないわけ?」
純がカップから顔を上げて、理解できないといった目を向ける。
「趣味でやってても、普通は沢山の人が飲んでくれれば嬉しいものでしょ?」
この指摘はもっともだった。
何かを生産していることを趣味と呼ぶのなら、第三者にもそれを認めてもらおうという意志がそこには存在する。
その意志のない生産はただの自己満足でしかないからだ。
そういった矛盾をあっさり突いてくるあたり、どっかの脳天気とは違うよな。
「なんつーか、客商売向いてねえんだよオレは。
 ガキはやかましいし、チャラついた若い連中は見ててイライラするし、中年連中ってのは図々しい。
 だから閑古鳥飼ってるくらいで丁度良いんだよ、この店は」
決して人間嫌いなつもりではないが、不必要な人間との干渉を嫌っているのも事実だ。
「呆れた、典型的な寂しがり屋の逃げ口上じゃない」
そう言いながら、ジェスチャーたっぷりで盛大に溜息を吐いてくれる。
いや全っ然、人の話聞いてねえなこいつ。
鬱陶しいとは言っているが、誰も寂しいだなんて言ったつもりはない。
「というか、先輩は時間大丈夫なんですか?」
「あら本当、微妙にピンチね」
腕時計を見ながら、さして大した事はなさそうに呟く。
「それじゃ、私はそろそろ失礼するわ」
そう言ったかと思うと、カップをつかみぐいっと一気に煽る。
おいおい、一気飲みかよ。
いくら楽しみ方は千差万別とはいえ、淹れた方としてはもう少し味わって飲んでもらいたいものだ。
などと呆れていると、純はさっさとカップを置いて勢い良く立ち上がると、
「ごちそうさま、香り付けでももう少しモカは控えめの方が好みだわ。
 それじゃ上総、またね」
そんな捨て台詞と500円玉を一つ残すと、ベルをがらがら言わせながら風のように去っていった。
いや、嵐だな。風なんて生温いもんじゃない気がする。
いやいや、そんなことよりもだ。
「なあ、上総・・・。あの人、どーゆー舌してんだよ・・・」
思わずそんな疑問が口からこぼれていた。
じっくり飲んでたのは最初の一口二口、あとは最後のあの一気飲み。
それで使ってる豆と全体のバランス、それらを把握したというのだろうか。
「さあ、私でもまだあの人は良く分からない所とかあるし」
「ふーん」
よく分からない奴、という点ではお前と変わらない、とも思ったが、円満な言葉のキャッチボールのためにも無用な火種は撒かないでおく。
それが大人というものだ。
「というか、忙しそうな人だな」
「まあ、先輩はいろいろ仕事を掛け持ちしてるから」
コーヒー一杯の時間すらまともに取れないほどケツカッチンなスケジュールなのだろうか。
そこまでとなると尊敬を通り越して呆れてしまう。
「何でまたそんなに?」
そこまでする理由がさっぱり思いつかなかったので素直に聞いてみる。
「純先輩、子供がいるんだよ。旦那さんが何年か前に亡くなっちゃって。
 それで、絶対に自分がちゃんと育てるって。それで」
「・・・そか」
何も気の利いた台詞が思いつかないので、ただそれだけ返事をする。
こういう時、デリカシーとやらが載っていない自分の辞書の貧困さと、
余計な事を聞いてしまった間抜けさにうんざりする。
「この前ね、写真見せてもらったの」
こっちはもうこの話題を終わりにしたいのに、目の前のバカタレはそんな事はお構いなしにそう話し出した。
「『みさきちゃん』っていう名前なんだって。かわいかったなぁ」
その写真とやらを思い出したのか、幸せそうに目を細めてそう呟く。
「ふーん」
うっとりしてるトコ悪いが、こちとら余所のガキなんざどうだっていいし、興味もない。
したがって、返事はあくびとも溜息とも取れるような間延びした声になる。
「あ!何そのどうでもよさそうな返事!」
「だってどうでもいいもんよ」
「あー、道化氏さん冷たいー」
「別に、オレが心配したり、ガキを褒めても、あいつの生活が楽になるわけでもないだろうに」
それに、その人の苦労なんか他人がどう頑張ろうが実際には分かりっこない。
まして一人で子育てをする苦労なんか、悪いがオレには想像すら到底できるこっちゃない。
「それはそうだけどさー」
「だから、まぁいいんじゃねえか。お前はそうやって脳天気にしてりゃあ、それがあいつの息抜きにでもなってるんだろ」
「・・・うん、そうだね」
そう言うと、カップを両手で包み込みながら、嬉しそうに上総は微笑んだ。
脳天気呼ばわりされて、何がそんなに嬉しいのか。
全くもって理解に苦しむ。
「けど何だな」
理解できない奴は放っておいて、オレは嵐が出ていったドアの方を見る。
「また来ることがあったら、なんかサービスくらいしてやるか」
「うん、そうしてあげて」
「そんなにニヤニヤしたって、お前にゃサービスしねえかんな」
「分かってるよ、ただ、純先輩の味方が増えて良かったなって」
「別に、そんなもんになった覚えは無いんだけどな」

頑張ってる奴には、コイン一個分くらいのいいことがあってもいい。
その時はそのくらいの気持ちでしかなかったんだ。
まさかその頑張ってる奴の代わりに苦労する羽目になるなんざ、まだ夢にも思っちゃいなかった。


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