father side \ 「大丈夫さ」


「少しひどいのが肩の打撲と裂傷、嘔吐感などは打撲部分の熱による体力の低下が原因ですな。
 右足も捻挫してはいるが、これはきちんと固定して安静にしていれば問題はないでしょう」
「そう、ですか」
医者の診断にほっと息が漏れる。
よかった、どうやらそこまで大した事はなさそうだ。
「安静にしていれば、ですがね」
「…う」
釘を刺されてしまった。
ったく、無茶してんのはアルだってのに、何でオレが睨まれなきゃいかんのか。
あー、でもまぁ、睨まれて当然か。
普通の親なら、自分のガキの事くらいきちんと見ているだろうからな。

(・・・普通の親、か)

・・・・と解熱剤を出しておきます。後は定期的に傷口の包帯を変えて清潔にしておいてください」
「え、あぁ、はい。分かりました」
やべ。思わず間抜けな返事を返しちまった。
医者の訝しむような視線が痛い。
というか、明らかに不機嫌そうだ。
「入院の必要はありませんが、とにかく、しばらくは安静にしていてください。いいですね」
「はい、分かりました・・・」
この医者怖ぇ。
絶対に風邪ひいてもここには来ないようにしよう。
そう心に誓いながら、オレは診察室を出た。


受付で処方された薬を受け取ると、待合室へと向かう。
「……父さん……終わったのか?」
パックのオレンジジュースを片手に、アルが声をかけてくる。
「誰の診察だと思ってんだお前?」
医者の診察を受けた後、トイレに行ってくると言って出ていったきり戻ってこないから、
いるなら多分この辺だろうと踏んでみたが、どうやら正解だったようだ。
「なんかアルのせいでオレが説教くらっちまったよ」
「………………」
はぁ、軽口で黙り込まれちゃ敵わねえ。
全く、誰のせいにすりゃいいんだと思いながらポケットを漁る。
「だいたいなぁ、アル…」
「父さん、どうでもいいけど」
「ん?」
「ここ、禁煙」
怪我人のくせにツッコミは普通にできるのか。
「仕方ない、そんじゃ話の続きは中庭にでも行ってからにすっか」
「…ここじゃ駄目なのか?」
さも動くのが億劫そうに非難の声をあげる。
まぁ、実際そう動きたくはないんだろうが。
「別に場所なんかどこでもいいんだけどさ、男と男の話にゃ煙草はつきもんなんでな」
「…はぁ」
かけ声代わりに溜息をつきながら、アルは渋々立ち上がった。


「で、話って?」
病院の中庭のベンチに腰掛けるとすぐにアルが聞いてきた。
紫煙を吐きながらどう切り返そうかと考えてみたが、どうもいい口上が思いつかない。
ま、自分に気の利いたセリフなんざ期待しちゃいなかったが。
「お前さ、何で怪我の事、みんなに黙ってたんだ?」
結局口から出たのは、そんな単刀直入な疑問だった。
「・・・・・」
「・・・・・」
そしてその疑問は見事にアタリを引いてしまったようで、アルは俯いたまま黙り込んでしまった。
当然、オレが誘導尋問のような器用な真似をできるはずもなく、結果オレも返答を待って黙るしかない。
返答を待っているうちに最初の一本を吸い終わり、かるく深呼吸をして肺の空気を入れ換える。
続けて二本目をくわえて火を着けたところで、アルが口を開いた。
「・・・だから」
「ん?」
「オレは、『兄』だから。あいつらのせいで倒れるような真似は、したくなかった」
「そら、あいつらだったら心配するだろうけど、アルのせいにするって事はないだろ?」
「あるさ!」
睨みつけるようにこっちを見て、アルが叫んだ。
「あれ。も、しーも、優しいから!絶対に自分のせいだって思うに決まってる!それに気付かないのは父さんくらいだ!」
言われて、今朝のしるぴんの様子が頭に浮かんだ。
そういえば、ただ心配してるにしてはふさぎ込んでるような雰囲気があったような。
「だからって、お前が無理しちゃ元も子もないだろ」
「少しくらい無理しなきゃ・・・駄目なんだよ」
「は?」
「オレは・・父さんとは、違うんだから」
何でそこでオレが話に出てくるんだ。
オレとアルが違うのは当たり前なのに。
「オレと父さんじゃ、支える形が・・・違うんだよ・・。
 オレなんかじゃ、父さんみたいに大きい手で、いつもがっしり支えることは出来ない・・・出来ないんだ!
 だからオレは! オレなりの支え方で・・・支えようと、思って・・・」
体に響てるんだろうか、少し顔をしかめながら、それでもアルは言葉を続ける。
「なのに・・・誓ったのに。結局は、何も出来ずに・・・惨めに倒れて。
 心配しかかけられなくて・・・『兄』としても、『弟』としても・・・オレは・・・っ」
そこから後は、消え入るように口を紡ぎ、アルは地面の一点を見据えるように押し黙った。
「なぁ、アル」
アルとは反対に空を眺めながら声をかける。
「お前、オレをスーパーマンか何かと勘違いしてないか?」
返事は無いが、構わず話続ける。
「オレは何もできやしない、ただの人間だよ…」
「そんなこと・・・ないだろ、あれ。だって結局父さんを頼ってたし・・」
「実際にアイツを助けたのはお前だ」
「しーを笑わせてやったのも」
「オレはあの暴力教師に言われるまで、何も気付けやしなかった」
ズクンと右手が痛む。
「ホントに、あの時から何も変わっちゃいない。オレは誰かを助けられた事なんかないんだよ」
「あの時…?」
怪訝そうな顔でアルがこっちを見上げる。


「・・・死なせ・・たんだ」


「・・・え?」
右手を空にかざしながら続ける。
「あの時、一番大事な奴を助けられなかった。
 支えきれなかったんだよ、この手は」
今でも染みついている、あの日の雨の冷たさと、アイツの手の暖かさ。
そして何より、あの振り解かれた瞬間の、空虚さ。
「それ以来、大事な何かを失う事を、人一倍恐れるようになった」
でも。
「それでも、それでも大事なモンを持つ事の大切さを教えてくれたのが、お前達なんだ」
それなのに。
「けど今だって何も変わっちゃいない。誰かが危ない目に遭ったって、間に合った試しがない」
怖い。
「正直言って、おっかねえよ。そんなオレがお前達の親やっててもいいのかってな」
そこまで話すと視線を地上に戻し、根本まで灰になりかけた煙草を灰皿に捨てる。
アルはどんな顔してんのかと思って隣を見ると、いつの間にか、また地面とにらめっこしていた。
けど、誰かにこんな話をしたのは初めてだな。
自分が今、どんなツラしてんのかちょっと想像もできない。
笑っちまいそうだから、想像もしたかないけどな。
「・・・でも、さ」
一人でそんな事を考えて苦笑していると、ぽつりとアルが呟いた。
「でも、父さんは、父さんだろ。父さんがオレ達の父さんである事に、良いも悪いもないよ」
こっちを見ないまま、アルは地面にそう語りかける。
「ありがとよ。けどな・・・」
オレも隣を見ずに、空に向かって語りかける。
「そのセリフ、そっくりそのまま返すぜ?アルがアルでいる事に、誰が良いとか悪いとかって言うんだ?」
それっきり、オレもアルも、空と地面を眺めたまま黙り込んだ。
そして


「・・・ぷっ」


どちらからともなく吹き出し
「くっくくく」
「あっははは」
意味もなく
「はははははははっ!」
声を揃えて笑い出した。
「アル、お前、何がそんなに可笑しいんだよ?」
「そういう、父さんこそ、何でそんなに笑ってるんだよ?」
笑ったせいか、それで体が痛いのか、アルは涙目になっている。
「いや何、血がどうのこうの関係なく、結局親子ってな似たような事考えてるもんだなって思ったら、何だか可笑しくてよ」
「何を今更なこと、言ってるんだよ・・・。血の繋がりがあろうと無かろうと、オレは、父さんの息子・・・だろ?」
「はは、そういやそうだったな」
そんなどうでもいいような事でひとしきり笑った後、少しからかうような口調でアルが口を開いた。
「でも少し意外だったな」
「何がだよ」
アルがにやりとした顔でこっちを見る。
「父さんって、結構弱気なトコもあるんだな」
「そりゃまあ、オレも人間だかんな」
大体、弱いトコの無い人間なんて、人の痛みも分からない馬鹿か、何が痛い事なのかも分からないクズくらいだ。
「それでもさ、みんな何とかかんとかやってくもんだろ?」
「・・・あ、そうだ、頭撫でてやろうか?」
突然アルが口走ったセリフに思わずぶっと吹き出す。
「ば、馬鹿な事言ってんじゃねえ!つーか何でそうなるんだよ!?」
「んなの、撫でたくなったからに決まってるだろ」
心底、底意地の悪い笑顔をにやりと浮かべて、アルの手がじりじりと俺に近寄ってくる。
「だっ、ばっ、やーめーろってんだろ!?」
「いいだろ、じゃあ姉さんならいいっていうのか?」
「あいつらにも許可した覚えはねえっ!」
「それでも、姉さんは撫でてる。無許可でもつまりは撫でていいってことだ。以上反論不可。なでなでー」
「ぅぐぁ・・・」
怪我人相手に殴ることも出来ず、結局さしたる抵抗も出来ずになでらてしまう。
つかコイツ体痛いんじゃないのか。
しかし、こういう立場になると、なんというか、いつも勝てない気がする・・・何故だ・・・。
「………………父さん」
「んぁ?」
さっき撫でられた事を取り消すように頭を掻きむしりながら、生返事を返す。
ちょっと自分でも、間抜けな返事だったかと思っているとふいに

「――ありがとう」

何のことは無いただの言葉だったが。
いつものコイツからはちょっと想像できないほど真っ直ぐなセリフだった。

そもそもオレはガキってモンが好きじゃない。
どんな因果でこんだけのガキ共をしょいこんだのか、たまに疑問に思うことがある。
時間が経てば、どんどん変わっていくし、
そうやって変わっちまえば、とっとと親から離れていく。
だけど、変わらないモンだって確かにある。
それが何か、うまく言葉が見つかんねえけど、
こうやって、その変わらないモノを垣間見せてくれる奴らだから。

だから、オレはこいつらの親ってヤツがやめらんねえんだろうな。


「……でも、負けないからな」
「は?」
「何でもない。それより、そろそろ戻らないと。店、どうせ臨時休業とかにしてるんだろ?
 ウチの生活費考えたら、半日店を開けてないだけでかなり痛いんだろ、ほら」
ぐいっと背中を押される。
これじゃどっちが怪我人なんだか。
「ったく、家計の心配する前に自分の心配しろってんだ」
「だったら安心して任せられるだけの背中を見せてくれよ」
もう、いつもの憎まれ口。
さっき見せた素直な表情なんて、カケラもありゃしない。
「あーそうだ、忘れるトコだった」
「何が…てっ」
立ち上がったアルの頭をかるく小突く。
「何すんだよ急に」
「何でもねえよ。ほら、天気悪くなりそうだし、とっとと帰るぞ」
そう言ってさっさと歩き出す。
言えるかよ、自慢のガキが自分を『なんか』呼ばわりしたのが気に入らねえなんてよ。
分からない顔をしているアルを放ったらかして一人で苦笑しながら、また一本煙草を口に運ぶ。

口元に持っていった煙草は、少し湿気ているくせに、妙に美味かった。


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