father side [ 「大丈夫か?」


ごとんっ。

小さな物音が聞こえた気がしてふと目を開ける。
ほんの数秒だけ部屋を見渡すが、何も変化は見あたらなかった。
ごろりと寝返りを打って再び瞼を閉じる。
この二度寝の入り口のまどろみがたまらない。
こいつは「この世で人間が味わえる快楽ランキング」の相当上位に食い込むんじゃないだろうか。
そんな莫迦な事を思いながら、大きく息を吐く。

ずだだだだだだだっ。

そんなこの世の極楽を引き裂く雑音が頭に響く。
ったく、いろんな音がよく聞こえちまうのが睡眠という行為の唯一のネックだな。

ばたんっ。

そしてあろう事か、その騒音はこの部屋までやってきた。

がくがくがくがくがくがくがくがくっ。

「……りんパ……んパパりん!! お兄ちゃんが! お兄ちゃんが!!」
ゴキンっと何だか首が聞いてはいけない様な音を立てたので、渋々目を開ける事にする。
どんなに二度寝の誘惑が甘美だろうと、身の安全には代えられない。
「う……なんだ……しるぴん」
いつの時代でも平和というものは儚い。
朝の幸せな時間に別れを告げて、よろよろと起きあがる。
欠伸をする間もなく片手を掴んだしるぴんに廊下に引きずり出され、空いた方の手で眼鏡をかける。
そして、いつものピントになった視界に写ったのは
「……アルっ、どうしたんだお前!?」
ろくに返事も返せずに呻いているアルだった。


「やだ!」
「そんなこと言ったって……ね、しーちゃん」
「うー……だって、ボクのせいだもん……」
とりあえずアルを布団まで運んだ後、何でアルがこんな事になってるのかをガキ共から聞いていた。
昨日は普通に学校に行っていたってのに。
「ボクが、飛びついちゃったから……だから」
しるぴんが泣きそうな顔で呟く。
いくら何でもコイツのタックルが致命傷になるわきゃない。
と、するとだ。
やはり一昨日のあの件の時か。

「……だ、い……じょぶだ……」

「お兄ちゃん!?」
「アルちゃん!? 気付いた!?」
オレが答えに辿り着いたと同時に、アルが意識を戻した。
しかしセリフとは裏腹にその顔には苦痛の色しか浮かんじゃいない。
「こん……なの、たいしたこと……ない……から」
そう言いながら、アルは肘を突いて無理矢理に上体を起こそうとする。
ったくコイツは。
溜息混じりにかるく掌底をお見舞いしてやる。
「そこまでだ。病人は、おとなしく寝とけ」
そっと頭を押し返すと、何の抵抗もなくアルの身体はぽふっと布団に戻った。
「さ、お前らは学校だ。あれ。も今日は大丈夫だな?」
「あ、はい……体は別にもう、なんとも」
一応体育とかは見学するように言ってあるし、普通の座学程度ならまぁ大丈夫だろう。
「さ、健康体は行った行った。こいつは、後でオレが病院にでも連れて行くさ」
そう言って、いい時間帯になっても動こうとしないガキ共を追い立てる。
こうでもしないと、この心配性の塊たちは動こうとしやしねぇ。
「……うん、おとーさん、アルちゃんのこと、お願いね」
心底不安そうなみさきに目だけで返事をする。
「……しー、行くよ」
まだ自分のせいだと思っているのか、地蔵の様に動こうとしないしるぴんの手を夜霧が引く。
「……分かった。行ってきます……」
うつむいたままそう告げるしるぴんの背中を「心配すんな」と、かるくぽんっと叩いて送り出す。
もっとも、いつもの呆れ顔で送り出せたかどうか、いまいち自信は無かったが。


いつものように、店のドアに「臨時休業」のプレートを引っかけていると、
ちょうど散歩をしていた近所のじいさんが「また面倒かい?」と、にやけながら声をかけてきた。
「おかげさんで、騒ぎの種には困っちゃねぇよ」と苦笑混じりに返事を返す。
ウチの臨時休業=また厄介事という法則が近所に認識されているあたり、ガキ共のトラブルメーカーぶりは大したモンかも知れない。
どうしたもんかと頭を掻いてると、じいさんと入れ違いで見知った作務衣が歩いてくる。
「よう、悪いな。今日はもう店終いだ」
「開店もしてないのに、店終いも何もないでしょう」
いつもの苦笑混じりで答えるY’sだが、どこか陰のある面持ちをしている。
「どうしたよ、不景気なツラぶら下げて?」
「あぁ、しーちゃんに聞いたんですけど、アルフェイル君、大丈夫かなって」
なるほど、ガキ共の不景気が伝染したらしい。
「アルは自分の部屋に寝かせてるよ、勝手に上がってくれ」
「それじゃ、ちょっとだけお邪魔しますよっと」
そう言って「臨時休業」のプレートのかかったドアから中へ入っていく。
「あぁ、そうだ」
「あん?」
店内から家の方に上がりかけながら、こっちを振り向く。
「不景気なツラ、お互い様ですよ」
「なっ!?」
思わず顔に手をやってる内に、Y’sの奴はさっさと家に上がり込んでいる。
ったく、そんなツラに出るほど分かりやすいのかオレは。
ここでうなだれていても仕方ない。
とっとと医者と・・・そうだな、タクシーにも電話を入れちまおう。


「・・・はい、そんじゃよろしく頼みます。・・・はい」
チンッと高い音を響かせて受話器を置く。
今更な黒電話だが、そのシンプルさが好きで未だに取り替える気はさらさらない。
「やっぱ便利さよりも味わいってヤツだよな」
「便利さよりも味わいなんて、まるでどっかの家の男性陣みたいっすね」
独り言に返事をするなんて、律儀な奴だな。
「どこの家の話だよ、波平さんやマスオさんか?」
「さぁ?」
そのくせ質問には答えないあたりが曲者なんだが。
「で、もういいのか?さっき上がってったばっかじゃないか」
「ちょっと様子を見て、少し話しただけですから。具合が悪いの分かってて長居するのも何ですしね」
「そうか。ま、医者に予約の電話したとこだから長居されてもロクに構えないしな」
「いやいや、こっちこそ余計なときにお邪魔しちゃって」
少しすまなさそうに苦笑を漏らしながら店の方に向かうY’s。
この家の玄関は出番が少ないよなぁ、と呆けていると既に店のドアに辿り着いたY’sがこちらに振り向く。
「あぁ、そうだ。おやっさんいろいろ鈍いんだから、強いも弱いも、ちゃんと言ってあげなきゃ分からないっすよ」
「はぁ?」
それじゃ、と手を振って去っていく隣人を眺めていたが、
去り際のセリフが好きな奴だな、と恐らく見当違いだろう感想しか思い浮かばなかったあたり、
アイツの言うとおりいろいろと鈍いんだろう。
が、んな事今更言われたトコでどうしようもない。
昔っから言われっぱなしなんだ、百も承知してる。
とりあえず解析不能な隣人の戯言は棚に上げておいて、アルの様子を見に行かんとな。
大丈夫そうなら、病院に行く支度もしなきゃならないし。

ココンッ
軽くノックをしてから部屋に入る。
「どうだ、調子は?」
「…父さん、返事を…待たないんなら、ノックなんか…いらないじゃないか」
いつものように呆れたような声で呟いちゃいるが、やはりまだ辛そうだ。
「ま、そんなツッコミができるくらいなら、病院くらいは行けそうだな?」
「別に…いいよ、病院なんて…」
「駄目だ」
即答で言い放つ。
全く、何でウチのガキ共はどいつもこいつも強がりやがって。
こんなあからさまな状態で無理されちゃ、オレの面目なんざあったもんじゃない。
「あのなぁ、これでもオレはお前らの親のつもりなんだ。ガキならガキらしく、親にちゃんと心配ぐらいさせろってんだよ」
「…わ、分かったよ」
渋々といった様子でアルがうなずく。
何でそんなに病院とかに行きたがらないのかは分からんが、行ってくれるのならそれでいい。
「そんじゃ、タクシーも呼んであるから下に行くか」
それだけ言って布団のそばにしゃがみ込む。
「…な、何?」
「何って、お前動けないだろ。さっさとおぶされよ」
「…え?…いや、それは」
動けねぇくせにガタガタ文句の多い奴だなぁ。
「じゃあ何だ、お姫様だっこの方がいいのか?」
「…いや、こっ…ちで…いい」
特大の溜息をついてから、かなり嫌そうに手をよこす。
まぁ気持ちは分からんでもないが、こういった時は男親ってなぁ損なもんだ。
何だかこっちまで溜息が出そうなんで、さっさとアルを背中におぶる。
「よっこいせっと」
「…っ!」
やはりまだ体が痛むんだろう。アルが辛そうに声を殺す。
「ワリィ、痛かったら勝手に我慢してくれ」
「…な、んだよ…それ…」
「お前、痛くてもどうせ言わねぇだろ。でも、マジで辛かったら言うんだぞ」
「…分かった」
はぁ、こんな当たり前の事を承諾させるのに、何で苦労せにゃいかんのか。
オレがこいつくらいのガキの頃はもっと・・・
えー・・・っと、もっと・・・どうだったっけな?

パッパーッ

そんなどうでもいい思考は店先から聞こえたクラクションによって中断させられた。
どうやらもうタクシーが着いたようだ。
そうだ、そんなくだらない事はどうでもいい。さっさとコイツを医者に運ぶのが先決だ。

ホント、大したことなきゃいいんだけどな・・・。


BACK